レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年05月31日
- 登録日時
- 2012/08/30 14:24
- 更新日時
- 2012/12/07 11:17
- 管理番号
- 埼久-2012-057
- 質問
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解決
戦国時代の人物で、細田河内守忠次に関する資(史)料が見たい。
『姓氏家系大辞典』に「応永の頃」「柚木の地頭」と出ていた。
- 回答
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『新編武蔵風土記稿[第3期]5』の「上柚木村」の条に「細田河内守忠次」の記述あり。ただし、典拠となる古文書類の紹介はなし。 p73-76「上柚木村」(p75「西光寺」の項)
「(前略)この寺もとは門外にたてる山王の別当寺なり、その山王社は応永二十九年時の地頭、細田河内守忠次が軍守護の為に建立せし所なり、その子孫河内守某滝山城主大石某が家老たりしとき、大石が歸依せし永林寺の第二世松室惠鑑を開山として起立し、かの先祖の祀りし山王社の別当職を命じけり、故に今に至るまで永林寺の末寺に属せり、細田山と號することは、開基の氏によれるなるべし、河内守が没せしは、天正十七年五月なり、法名を平心院棲雪道賢居士と號す、(後略)」
- 回答プロセス
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質問者確認資料を再確認する。
『姓氏家系大辞典 3』(太田亮著 角川書店 1981)
p5412「武蔵の細田氏」の項に以下の記載あり。
「多摩郡の豪族にして、応永の頃、細田河内守忠次は柚木の地頭たりき。其の子孫・河内守某・滝山城主大石某が家老となり、天正十七年五月歿す。・・・」
『新編武蔵風土記稿[第3期]1』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1977)
第1巻の総目録から「多摩郡」が巻89-128に収録されていることがわかる。
該当巻にあたる第5巻の目次から、巻96,97の「柚木」の項目を確認した。
『新編武蔵風土記稿[第3期]5』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1977)
p73-76「上柚木村」(p75「西光寺」の項)
その他調査済み資料は以下のとおり
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)〈細田〉の項に該当記述なし。
『埼玉大百科事典 4』(埼玉新聞社 1975)〈細田〉の項に該当記述なし。
『国史大辞典 12』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1991)
『日本史大事典 6』(平凡社 1994)
『寛政重修諸家譜 索引2』(続群書類従完成会 1989)〈[細田]忠次〉なし。
『寛政重修諸家譜 索引4』(続群書類従完成会 1989)〈細田忠次〉〈河内守〉なし。
『寛政重修諸家譜 第15』(続群書類従完成会 1985)(索引1より)
p98-103「細田」各系図に該当する名はなし。
『人物レファレンス事典 古代・中世・近世編 〔2〕』(新訂増補 日外アソシエーツ 1996)
『人物レファレンス事典 古代・中世・近世編 2(1996-2006)』(新訂増補 日外アソシエーツ 2007)
『人物レファレンス事典 郷土人物編』(日外アソシエーツ 2008)
『戦国人名辞典』(吉川弘文館 2006)
『系図纂要 別冊1 補遺 姓氏索引 没年一覧』(名著出版 1997) 〈細田〉姓なし。
『系図纂要 別冊2 名諱索引』(名著出版 1997) 細田姓の〈忠次〉なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『姓氏家系大辞典 3』(太田亮著 角川書店 1981)
- 『新編武蔵風土記稿[第3期]5』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1977)
- キーワード
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- 細田 河内守忠次(ホソダ タダツグ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000110727