レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2009/08/06 13:40
- 更新日時
- 2019/03/08 14:54
- 管理番号
- 宮崎県立般187
- 質問
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解決
内海港の軽便鉄道について調べたい。
- 回答
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『宮崎県史 通史編 近・現代1 』(M書庫219600/7-6-4)によると、県知事有吉忠一が振興策として県営鉄道敷設を計画し、大正2年は飫肥・油津線、大正3年、宮崎・妻間、宮崎・川口間が開通している。ほか、民間でも大淀と内海を結ぶ宮崎軽便鉄道株式会社が設立され、大正2年10月開通している。(p1052-1053)
『郷土誌 青島』(宮崎市青島地区公民館 昭和45年)(M書庫219642/17)には、赤江村恒久(南宮崎駅)から内海港に達する鉄道敷設のため、明治44年宮崎軽便鉄道株式会社が設立され、大正2年営業を開始された経緯と、この鉄道を利用した村民の思い出のいくつかが紹介されている。(p224-227)
『赤江郷土史』(石川恒太郎/編 赤江振興会 昭和39年)(M書庫219642/18)には、汽船の大型化により、赤江港に汽船の寄港ができなくなったため、宮崎と内海港を結ぶ鉄道建設の前段階として軽便鉄道が架設されたことについて記述がある。(p218-219)
※ 『宮崎県大観』(M書庫219600/445)からの軽便鉄道についての引用も掲載されている。
『日南鉄道史』(日南鉄道工事促進協力会事務局/編 日南鉄道工事促進協力会/発行 昭和38年)(M書庫/6862/113)には、貨物の流通だけでなく、観光も視野にいれたものであることなどについて記述があり、また、内海線開通を祝した「青島鉄道唱歌」の歌詞(19節のうち3番まで)が掲載されている。
(p22-24)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 鉄道運輸 (686)
- 参考資料
- キーワード
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- 軽便鉄道
- 内海港
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000056926