レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/09/18
- 登録日時
- 2010/01/24 02:10
- 更新日時
- 2010/01/26 13:03
- 管理番号
- 埼浦-2009-053
- 質問
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未解決
川口宿本陣永瀬家について調べている。永瀬家の身分は、士分あるいは百姓ながら名字帯刀だったのかを知りたい。
- 回答
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永瀬家が苗字帯刀を許されていたかについて、裏付けとなる文書が掲載されている資料は確認できなかった。
- 回答プロセス
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永瀬家の役職に関係する記述があった資料は以下のとおり。
『川口市史 通史編 上巻』(川口市 1988)
p484-「宿駅の機構」によると、「それぞれの宿駅には住民から選出された宿役人がいて、(中略)宿役人として問屋(中略)の名がみえる。(中略)問屋は、(中略)宿の最高責任者であった。」とあり、「〔江戸時代〕中期以降は宇田川家・永瀬家・増田家などが交替で問屋を勤めるようになってきている。」とあるのみ。
p710「天保14年の記録によれば、(中略)本陣は名主・問屋兼帯の永瀬家が営んでいたがその詳細については明らかでない点が多い。」
『川口大百科事典』(川口大百科事典刊行会 1999)
p334「永瀬文左衛門」の項によると、「永瀬家は市内本町一丁目の由緒ある旧家で、江戸後期には由緒ある宇田川家と交替で名主役を、また通称『本陣』といわれるように、日光御成道川口宿問屋を勤めた家である。」とあるのみ。
『川口市史 近世資料編1』(川口市 1985)
p544-557「川口町明細書上帳」(享和4年)によると、p554に鋳物師職として「百姓 源内」「百姓 文左衛門」の名がみられる。p557(「川口町明細書上帳」の末尾)には「享和四子年 足立郡川口町 名主 文左衛門」の名がみられる。
『川口市史 近世資料編2』(川口市 1986)
p34 史料解説によると、「直接本陣の規模などを示した史料は確認できなかった」とある。
p267-290「第一節 川口鋳物師と真継家」にある文書には、「永瀬」の名が散見される。ただし、苗字帯刀に関係するものはなし。
「第五章 交通と運輸」にある文書には、「永瀬洋治家文書」の文書が散見されるが、苗字帯刀についてはなし。
Webサイトの情報
《真継家文書データベース》
近世編をキーワード〈永瀬〉で検索したところ、「安政4年12月(鋳物師職許状)」で宛名「武州足立郡川口宿鋳物師・永瀬半蔵」がヒットした。また、〈苗字〉〈帯刀〉で検索したがヒットせず。
(http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~nihonshi/matugi.html 名古屋大学文学部・文学研究科日本史学研究室 2009/09/19最終確認)
その他調査済み資料は以下のとおり。
『真継家と近世の鋳物師』(笹本正治 思文閣出版 1996)
鈴木茂「文久元辛酉五月吉日銘の諸国鋳物師控帳について」(『川口史林 2』 川口市郷土史会 1969)
永瀬利雄「鋳物師免許状に関する一考察」(『川口史林 3』 川口市郷土史会 1969)
永瀬利雄「御鋳物師の家系図」(『川口史林 5』 川口市郷土史会 1970)
永瀬利雄「鋳物師永瀬源内とその作品」(『川口史林 6、7』 川口市郷土史会 1971)
『川口市史調査概報 1~6』(川口市総務部市史編さん室)
永瀬家の文書は、『埼玉県古文書所在確認調査目録』(埼玉県教育委員会 1978)によると、管理者が川口市立図書館とある。また、どのような文書があるのかについては、川口市立図書館で「永瀬家文書目録」(川口市立図書館 1970)を刊行している。
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 永瀬家(ナガセケ)
- 川口宿-武蔵国-江戸時代
- 川口市-埼玉県-歴史
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000062303