レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2002年03月
- 登録日時
- 2005/12/08 12:40
- 更新日時
- 2006/02/05 10:34
- 管理番号
- 県立長野-02-016
- 質問
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解決
県歌「信濃の国」の歌詞にある「仁科の五郎信盛」は「仁科五郎盛信」ではないのか
- 回答
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信盛か盛信か断定できないが、各資料に仁科盛信で記されている。
1 『県歌信濃の国』(市川健夫著 銀河書房 1984)[N767-40]p209に〝仁科五郎盛信(「信濃の国」の信盛は誤り)〟とある。
2 『県歌信濃の国解説』(小宮山三郎編・発行 1996)[N767-61]p32に〝県歌「信濃の国」は信盛となっているが、武田家系譜と多くの資料は盛信となっているから盛信が正しい〟とある。
3 『長野県歴史人物大事典』(郷土出版社 1989)[N283-13]p541に〝長野県歌にうわれた仁科の領主〟とあり、〝正系仁科氏断絶の後、仁科の名称を継いで大町居館におり盛信(武田氏関係文書では信盛)といった〟とある。
4 『大町市史 2 原始・古代・中世』(大町市史編纂委員会編 大町市 1985)[N231-36-2-1]p399に〝『信府統記』も『高遠記集成』も後世の記録には信盛と記述したものが多い。しかし、郷土に残された仁科神宮の棟札をはじめ、当時の文書にはすべて「盛信」と記されており、盛信が正しいといえる〟とある。
5 『高遠町誌 人物編』(高遠町誌人物篇編纂委員会編 高遠町誌刊行会 1986)[N242-79-3]p315~316に〝一説には信盛ともいわれているが、現存する仁科氏関係の文書にはいずれも盛信となっている。〟とある。
- 回答プロセス
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① 郷土資料の[N760 音楽]の書架で、『県歌信濃の国』(前掲)、『県歌信濃の国解説』(前掲)を見つける。答1、2に至る。
② 『長野県歴史人物大事典』(郷土出版社 1989)[N283-13]で「仁科信盛」をひく。信盛ではなく盛信で記載あり。答の記述の他に、〝八一年(天正九)勝頼の命によって、上伊那郡の高遠城主となった〟とある。
③ 大町と関わりのある人物なので、『大町市史 2 原始・古代・中世』(前掲)を見る。p398~399に『武田系図』をひいているが、この系図では、「信盛 仁科五郎」となっている。〝系図をそのまま信ずることはできない。しかし細部の誤謬をのぞいては、他資料と一致するところが多い。誤りのひとつは「信盛(のぶもり)」である〟とし、答4の記述が続く。
④ 後の高遠城主でもあったことから、『高遠町誌 人物編』(前掲)を見る。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
- キーワード
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- 信濃の国
- 仁科五郎盛信
- 長野県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『なんでもきいてみよう』(県立長野図書館 平成14 第34集)収録レファレンス
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000025491