レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/6/24
- 登録日時
- 2020/07/15 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000834
- 質問
-
解決
【金沢の氷室饅頭と京都の和菓子水無月について】 金沢で7月1日に氷室饅頭を食べる。京都では、6月30日に無病息災を祈って水無月を食べる。いわれは同じで氷を献上する側とされる側の風習なのに、献上した金沢が1日遅いのはなぜか。
- 回答
-
・かつて宮中の貴族たちの間には、「夏越の祓(なごしのはらえ)」の際に氷を食べて暑気を払う習慣があり、氷室(ひむろ)と呼ばれる氷の貯蔵庫から氷を運ばせていた。
・「夏越の祓(なごしのはらえ)」とは、一年を半分にした6月の晦日(みそか)旧暦6月30日に執り行われていた神事。茅の輪くぐりとも呼ばれる。
・当時の氷は大変貴重で、庶民が食べられる物ではなかったため麦の粉を練って蒸した、ういろうを三角形に切った、氷に似せたお菓子を作って食べていた。
・水無月は、「夏越の祓(なごしのはらえ)」に食べる和菓子で、半年間の罪や穢れを祓い残りの半年も無病息災でいられることを祈願する。下外郎に小豆をのせ氷をかたどった三角形の和菓子。
・「水無月」の上に散らされた小豆は、悪魔祓いの意味合いがある。豆自体が鬼や悪魔が嫌う食べ物。また赤い色も魔除けの意味合いが強く、赤い豆の力で体の中から魔を追い出した。
・梅雨から夏という食欲不振や夏バテで何かと体調を崩しやすい時期、昔の人は「水無月」を食べて、無病息災を祈願しながら夏を乗り切ろうとした。
・加賀藩では藩政時代、徳川将軍家に献上するため、天然の氷雪を氷室(ひむろ)とよばれる小屋に貯蔵し、6月の末に江戸に届けていた。禁中行事にある氷室の節句(旧暦6月1日、新暦の7月1日)に間に合うよう、6月1日(現在7月1日)は徳川幕府に氷室の氷を献上する日と決められていた。
・氷室饅頭は、5代綱吉の頃(天保年間)道願屋彦兵衛が創始したと伝えられる。
・氷室は夏に氷を使う目的で、氷を貯蔵しておく場所。氷室に蓄えた氷を出すことから6月朔日を氷室の朔日と呼んだ。
・江戸まで無事に氷が届くようにと、供えられた氷室饅頭は、氷室の節句に大切なものの無事を祈り無病息災を祈って麦まんじゅうを食べる習慣として広がった。
・京都は旧暦のまま「夏越の祓(なごしのはらえ)」を行い、水無月を食す。一方金沢では、氷室を献上した日を新暦に直したことから、日付の逆転が起こったと考えられる。
・『金沢市史 資料編14』(119748725)
・『稿本金沢市史 風俗編第1』(119564209)
・『和菓子の辞典』(11051524)
・『47都道府県和菓子/郷土菓子百科』(113548816)
・『国史大辞典 10』(11108565)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000284621