レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/03/14
- 登録日時
- 2017/11/17 00:30
- 更新日時
- 2017/11/30 17:12
- 管理番号
- HC-17031408
- 質問
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解決
長房の「陸軍幼年学校」について知りたい。
- 回答
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『八王子市郷土資料館だより Vol.81』(2007年 八王子市郷土資料館)p.5に中村明美氏の「東京陸軍幼年学校を中心とした戦跡」という記事の掲載があり、「現在の長房町の北部に位置する長房団地のあたりは、かつて東京陸軍幼年学校が建っていた場所です。陸軍幼年学校は明治5年(1872)に陸軍が士官学校と幼年学校を設立したことに始まり、士官学校進学者のために設立した特別な中学校で、年少時から軍人の予備教育を行っていました。明治30年(1897)、東京に陸軍中央幼年学校と陸軍地方幼年学校が全寮制として開校し、49年の歴史が始まります。東京陸軍幼年学校は昭和18年(1943)夏からの戸田建設の工事により、戸山台(現・新宿区)から多摩御陵の東側にあたる台地(当時南多摩郡横山村下長房)に10万坪の敷地をもって、昭和19年3月に移転してきます。しかし幼年学校は移転後わずか一年半の、昭和20年(1945)8月2日の八王子空襲で焼夷弾を受けほぼ全焼し、生徒と教官および職員の10名が犠牲となりました。」と記載されています。
『船田の歴史と想い出』(1978年 高橋貢)には、p.49-52に鈴木藤吉氏の「東京の陸軍幼年学校が船田の原に移転」という記事の掲載があり、同様の記述があります。
『結成50周年記念誌 50年のあゆみ』(2016年 長房西団地連合自治会)p.8にも同様の記述があるほか、「東京陸軍幼年学校(建武台)鳥瞰図」も掲載されています。
『三軒在家むかしといま』(1983年 青木助三)にも、p.118-120「陸軍幼年学校の炎上」に同様の記述があるほか、空襲の様子についての記述もあります。
『長房中学校PTAニ十周年記念誌月夜峰』(1995年 長房中学校PTA記念誌作成委員会)p.17「長房の今昔①団地周辺」には、「今の長房児童館の辺りに士官クラスの集会所があり、北団地辺に幼年兵の集会所がありました。幼年学校生は日本中の将校さんのご子息で十三から十五才位の少年達でした。幼年学校は元は牛込にあったのが戦争が烈しくなってきて長房に移動してきたものです。三年生は六期生、二年生は七期生、一年生は八期生と呼ばれていました。」と記載され、「幼年学校正面」の写真も掲載されています。
またインターネットでは、国立国会図書館デジタルコレクションに、『輝く陸軍将校生徒』(1940年 大日本雄弁会講談社)(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458897/38?viewMode= 最終アクセス日:2017.11.16)が公開されており、長房に移転する前の内容ではありますが、p.45-61(コマ番号38-46)「東京陸軍幼年学校参観記」に掲載されている記事と写真を確認することができます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 8版)
- 参考資料
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- B11705156 八王子市郷土資料館だより 八王子市教育委員会 八王子市教育委員会 1984
- B11702348 船田の歴史と想い出 高橋 貢/編 高橋貢 1978
- B12666878 結成50周年記念誌 50年のあゆみ 平成27年度常任理事会/[編] 長房西団地連合自治会 2016.4
- B11698821 三軒在家 むかしといま 青木 助三/編著 青木助三 1983
- B11705302 長房中学校PTA二十周年記念誌月夜峰 八王子市立長房中学校PTA 長房中学校PTA記念誌作成委員会 1995
- 国立国会図書館デジタルコレクション「輝く陸軍将校生徒(東京陸軍幼年学校参観記)」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458897/38?viewMode= 2017.11.16
- キーワード
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- 陸軍幼年学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000225089