レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年05月30日
- 登録日時
- 2019/06/06 11:44
- 更新日時
- 2019/07/25 12:30
- 管理番号
- 2019-10
- 質問
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解決
松山藩では時をどのように庶民に知らせていたのか記録があるか。
- 回答
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松山藩の時刻の知らせ方についての資料は見当たらなかった。
- 回答プロセス
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江戸時代の時を知る方法について、【資料1】に次のように紹介されていた。
(和時計)江戸時代に入り、不定時法に合わせて創意工夫が加えられ、日本独自の和時計が発達した。城や大名屋敷で使われたものに掛時計・櫓時計・台時計がある。銅や真鍮製の側の箱の中に歯車などのからくりがあり、側の正面に文字盤と指針が付いている。上部には脱進機(振り子の運動を利用して歯車を一定速度で動かすための部品、調速装置)である棒天符と時刻を知らせる鐘が付いている。動力は錘で、指針や文字盤を回す歯車と鐘を鳴らす歯車をそれぞれ動かすために二個ぶらさがっている。
(香時計)香盤時計・常香盤・時香盤などとも呼ばれる。中国から伝わったものとされ、二、三段の引き出しの上に香盤が設けられている。香盤に抹香を鉤型に埋め込み、端から火を付けて燃え進み具合で時を計る道具である。引き出しには抹香や諸道具が収められる。
(時報-時の鐘、時の太鼓-)和時計や香時計によって認知された時刻はさらに多くの人々へ周知される。いわゆる時報であるが、その手段として時の鐘や時の太鼓があった。(中略)時の太鼓については、江戸城において、太鼓によって明六ツに城門の大扉を開け、暮六ツに閉め、暁九ツに潜扉を閉めたというように、城門の開閉の時鼓として使われ、明治五年(1872)の廃止まで存続したことが紹介されている。(中略)しかし、打鼓時刻・打ち方等々の詳細についてはわかっていない。さらに、日本の各地の時報の実態はまったくわかっていない。
同【資料1】の「伝存時の太鼓・太鼓櫓一覧」には、松山城の太鼓櫓も記されている。
【資料2】~【資料4】を調査したが、時報や時刻に関する記述はなかった。
【資料5】には、昔話の1つとして、「松山の七不思議」の中の「打たぬ太鼓」という話があり、「江戸時代、城山で時う代わりにうった太鼓がこだまして四方八方ひびいとったんじゃろうということよ」とある。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『時の太鼓と城下町-江戸時代の時刻と時報-』(一関市博物館/編集・発行 2009) <当館請求記号:449.1-トキ-2009>
- 【資料2】『愛媛県史 近世上』(愛媛県史編さん委員会/編 愛媛県 1986) <当館請求記号:K200-31>
- 【資料3】『愛媛県史 近世下』(愛媛県史編さん委員会/編 愛媛県 1987) <当館請求記号:K200-31>
- 【資料4】『松山市史 第ニ巻 近世』(松山市史編さん委員会/編 松山市 1993) <当館請求記号:K231-49-2>
- 【資料5】『松山のむかし話-伝説-』(松山市教育委員会文化教育課/編 松山市文化財協会 1989) <当館請求記号:K388-マツ>
- キーワード
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- 江戸時代の時刻
- 和時計
- 香時計
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 「奥の細道」で芭蕉の供をした曽良が、現在の腕時計が無いと分からないような細かい時刻を「曽良日記」に記している。
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000257016