レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年01月20日
- 登録日時
- 2020/05/26 09:35
- 更新日時
- 2020/05/26 12:36
- 管理番号
- 9000027946
- 質問
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未解決
大正3年の天皇祖奥井式典に際し、信玄公に従三位を贈位することになった。
位記宣明を受け取る信玄公の正統の子孫を決めるにあたり、山梨県へ名乗り出たのが三十六家あった。
その時に名乗り出た家について知りたい。
※直系が決定し贈位式が行われたのは昭和2年4月29日
- 回答
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36家すべてが確認できる資料は確認できなかった。
正嫡争いをしたとの記述がある文献は確認できたが、名乗り出た家に関しては、正統を判断した渡辺世祐氏の著作『武田信玄の経綸と修養』付録「武田勝頼滅亡以後の武田家」など、米沢の武田家と武田要子家(竜宝の系統)の2家を中心に紹介した資料が多い。
その他の家については、一部の家は確認できるが詳細は不明。
参考
<家名が確認できる資料>
『武田神社誌』には7家紹介。
「東京の武田要子・米沢武田茂・福岡武田玄一郎・東京武田輝太郎・東京市川一・兵庫武田勝信・佐賀武田宗信氏ら三十六家」「…東京の武田要子氏(信親の系譜)と米沢氏の武田茂氏(信清の系譜)が有力ということで最後まで争われた…」の記述あり。
『図説武田信玄公』には3家紹介。
武田要子家、米沢の武田家、兵庫県加古川市の武田忠雄家。
<選定経緯がわかる資料>
『武田家と入明寺』
『武田信玄の経綸と修養』(渡辺世祐)付録「武田勝頼滅亡以後の武田家」
- 回答プロセス
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1.武田神社の資料調査:『武田神社誌』(7家記載)
2.武田信玄関係調査:『図説武田信玄公』(3家記載)
その他、質問とは異なるが、仁科守信の子孫や群馬県南牧谷にある武田信勝の首塚とその子孫、武田義信の子孫などを紹介
3.『県史』『県報』調査
4.選考を行った渡辺世祐氏の関係資料調査『武田信玄の経綸と修養』(渡辺世祐)付録「武田勝頼滅亡以後の武田家」2系統の検証
5.雑誌調査
6.新聞調査山日T4.12.18(1)「信玄の後裔贈位御沙汰迷ふ」東京武田輝太郎と武田要子の2家について
- 事前調査事項
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直系が決定し贈位式が行われたのは昭和2年4月29日
- NDC
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- 中部地方 (215 10版)
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 参考資料
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武田神社/編 , 武田神社. 武田神社誌. 乙黒松根, 1989.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005759944-00 (p.66) -
武田神社 (甲府市). 図説武田信玄公 : 一族興亡の軌跡. 武田神社, 1994.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002320679-00 (pp.266-267) -
蘆洲村松志孝 編 , 村松, 志孝, 1874-1974. 武田家と入明寺. 武田竜宝公遺蹟保存会, 1943.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000607978-00 (p.26) -
渡辺世祐 著 , 渡辺, 世祐, 1874-1957. 武田信玄の経綸と修養. 新人物往来社, 1971.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001214877-00 (pp.242-255) -
武田家小史. 武田神社社務所, 1988.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005555633-00 (p.26)
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武田神社/編 , 武田神社. 武田神社誌. 乙黒松根, 1989.
- キーワード
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- 武田信玄
- 武田晴信
- 武田竜宝
- 武田信清
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000282420