レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年05月07日
- 登録日時
- 2018/06/28 14:47
- 更新日時
- 2020/12/04 10:15
- 管理番号
- 中野0973
- 質問
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解決
源氏物語の文章を悪文だといっている明治の文豪がいたが、誰か。
- 回答
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【資料1】『新編日本古典全集』22(918/シ/22)
p.3[古典への招待 源氏物語は悪文であるか」
→p.4「(略)同時代の論壇における悪文説も無視できなかろう。たとえば、内村鑑三「後世への最大の遺物」(明治二十七年講演)、高山樗牛「吾が好む文章」(『中学世界』明治三十五年二月)、斎藤緑雨「半文銭」(『みだれ箱』明治三十六年)等に、ほとんど異口同音ともいうべく「古今の大悪文」「悪文の標本」等の文言が見いだされるが、『源氏』悪文説主唱者として有名なのは正宗白鳥であろう」
- 回答プロセス
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インターネット<源氏物語 悪文>で検索。
→ジャパンナレッジ「源氏物語は悪文であるか」(https://japanknowledge.com/articles/koten/shoutai_22.html)
「第22巻 源氏物語(3)より」との記述あり。
【資料1】『新編日本古典全集』22(918/シ/22)を確認したところp.3~同じものが載っていた。
当館OPACで<源氏物語 批評>などで検索したが適当な本は出てこなかった。
『岩波講座 文学9 表現の方法6』(908/イ/9)
『日本文学の心情と理念』(910.4/ニ)
<追記>
上記【資料1】にあった該当部分は、当館所蔵資料では以下に掲載されていた。
【資料2】『正宗白鳥全集 第8巻』正宗白鳥/著,新潮社,1976(918.68/マサ/8)
p.103[古典を読んで] p.106「自国の文学では国宝視されている源氏は、読みながらいく度叩きつけたい思ひをつづけたか知れなかった。内容は兎に角、無類の悪文である。」
p.349[英譯「源氏物語」]「いつも、気力のない、ぬらぬらとした、ピンと胸に響くところのない、退屈な書物だと思つてゐた。」、p.351「原文は簡潔とは云へ、頭をチヨン斬つて、胴体ばかりがふらふらとしてゐるやうな文章で、読むに歯痒いのであるが」
【資料3】『後世への最大遺物 デンマルク国の話』内村鑑三/著,岩波書店,1954(194/ウ)
p.11[後世への最大遺物] p.41「『源氏物語』という本は美しい言葉を日本に伝えたものであるかも知れませぬ。しかし『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか。(以下略)」
【資料4】『樗牛全集 第6巻』博文館,1931(918.68/タカ/6)
p.433[吾が好む文章] 「されど吾れは源氏を好まず、却てそを古今の大悪文の一つに数へたく思ふ也。」
【資料5】『明治の文学 第15巻』坪内祐三/編集,筑摩書房,2002(918.6/メ)
p.164[半文銭] p.182「源氏物語は悪文の標本也。」
- 事前調査事項
- NDC
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- 小説.物語 (913)
- 参考資料
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【資料1】紫式部, 平安中期 , 阿部, 秋生, 1910-1999. 新編日本古典文学全集 22. 小学館, 1996.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002467666-00 , ISBN 4096580228
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【資料1】紫式部, 平安中期 , 阿部, 秋生, 1910-1999. 新編日本古典文学全集 22. 小学館, 1996.
- キーワード
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- 正宗白鳥
- 源氏物語
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000237687