レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年01月26日
- 登録日時
- 2016/09/16 10:58
- 更新日時
- 2016/12/15 11:50
- 管理番号
- 2015-24
- 質問
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未解決
布利秋と加藤拓川の二人に接点があったのか知りたい。
- 回答
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吉田茂など、布利秋・加藤拓川共通の関係人物までは確認できたが、残念ながら直接の接点を示す資料は見つけることができなかった。
- 回答プロセス
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まず、布利秋について書かれた資料を調査。
【資料1】「三、外国生活の時代(二十三歳から四十歳まで)明治四十三年から昭和二年 (2)ヨーロッパでの生活」に「(大正八年)六月には、パリ平和会議日本通信担当となり、ベルサイユ条約の締結状況を日本へ報道した。この時、講和会議使節主席全権・西園寺公望の随員だった若き日の近衛文麿、副全権牧野伸顕秘書官兼随員の吉田茂、全権団報道主任の外務省官吏の松岡洋右の三名と特に意気投合し親しくなる。」との記述(p26)はあるが、加藤拓川の名前はなかった(p25-34)。
【資料2】【資料3】には布利秋と加藤拓川との接点を示す記述なし。
次に、加藤拓川について書かれた資料を調査。
【資料4】『拓川集』(【資料15~17】)を元に、加藤拓川の評論・随筆のほか、拓川の周辺の人物や追憶座談会等が収録されているが、通覧した限りでは布利秋との関係についての記述はなかった(人名索引等が無いため見落としの可能性あり)。
【資料5】「Ⅶシベリア派遣全権大使として」に「拓川は牧野一行より一日早く、『万朝報』の黒岩涙香ら一〇人と共に出発し、(一九)一九年の一月一日にニューヨークへ着き、後着の随員外務省書記官佐分利貞男と四日にフランス船に同乗して一一日にフランス最西端のブレストへ入港し、翌日、パリにはいった。」という記述(p210)はあるが、布利秋の名はなかった。
このほか、【資料6】~【資料14】を調査したが、布利秋と加藤拓川との接点を示す記述はなかった。
次に、加藤拓川の文章や書簡等を集めた『拓川集』を調査。
【資料15】の目次によると布利秋宛ての書簡は掲載がない。
【資料16】巻末に「拓川集略索引」があり、一文字目の画数による索引になっている。「布」の5画の項目には布利秋ではじまる文章はなかった。
【資料17】大正六年から十年までの日記を通覧したが「布利秋」と思われる人名は見つからなかった。
- 事前調査事項
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『両大戦間の日仏文化交流』(和田博文ほか/編 ゆまに書房 2015年)の12ページに愛媛県出身の布利秋についての記述が少しあった。彼は、1918年の第一次大戦のときにフランスの戦場を視察取材をした『中央新聞』の特派員だったとあり、加藤拓川も1917年から各国議員商事委員会出席の為に渡欧している。『加藤拓川伝』(島津豊幸/著 松山大学 1997年)の中にモノクロ写真「ヨーロッパ戦線視察1917年」が掲載されているので関連があるのか知りたいとおもった。『布利秋伝』は未読。拓川の伝記3冊は読んだ。
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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- 【資料1】『布利秋伝』(若宮元一・田中晧正/著 布利秋顕彰会 2003年)<当館請求記号K289/ヌト/2003>
- 【資料2】『皆さんは布利秋をしっていますか?』(布利秋を顕彰する会(仮称) 田中晧正/編集 松野町 〔2001〕年)<当館請求記号K289/ヌト/2001>
- 【資料3】「広い世界観をもって日本の将来を考えた探検家 布利秋(ヒーロー列伝伊予人)」『松山百点』第242号(松山百店会 2005年5月)p20-24
- 【資料4】『加藤拓川』(畠中淳/編著 松山子規会 1982年)<当館請求記号K289/カタ/1982>
- 【資料5】『伊藤博文を激怒させた硬骨の外交官加藤拓川 帝国主義の時代を生き抜いた外交官とその知友たちの物語』(成沢栄寿/著 高文研 2012年)<当館請求記号K289/カタ/2012>
- 【資料6】『拓川資料〔複製〕』1~3(西園寺源透/編 〔愛媛県立図書館〕 〔1996〕年)<当館請求記号K289/カタ1~3/1996> (大正12年西園寺源透写の和本(伊予史談会所蔵)を愛媛県立図書館で複製したもの)
- 【資料7】「子規の叔父加藤拓川」(蒲池文雄/著))『愛媛国文研究』第16号(愛媛国語国文学会 1966年12月)<当館請求記号K910/5>p32-41
- 【資料8】「正岡子規と加藤拓川」(畠中淳/著)『子規会誌』13号(松山子規会 1982年4月)p3-10
- 【資料9】「加藤拓川の魅力―和魂洋才の明治人―」(畠中淳/著)『子規会誌』15号(松山子規会 1982年10月)p26-32
- 【資料10】『拓川と羯南 第16回特別企画展図録』(松山市立子規記念博物館 1987年)<当館請求記号K289/カタ/1987>
- 【資料11】「祖父、加藤拓川のこと」(正岡浩/著)『子規博だより』Vol.12-1(松山市立子規記念博物館 1992年6月)p13
- 【資料12】「外交官加藤拓川の生きざま」(大野慶一/著)『伊予史談』311号(伊予史談会 1998年10月)p67-72
- 【資料13】「加藤拓川」(井手康夫/著)『子規会誌』98号(松山子規会 2003年7月)p34-36
- 【資料14】「加藤拓川と井手正鄰」(井手康夫/著)『きらめき』Vol.75(松山市文化協会 2013年1月)p8-9
- 【資料15】『拓川集 書簡篇』(拓川会 1931年)<当館請求記号K289/カタ/1931>
- 【資料16】『拓川集 拾遺篇』(拓川会 1933年)<当館請求記号K289/カタ/1993>
- 【資料17】『拓川集 日記篇』(拓川会 1931年)<当館請求記号K289/カタ/1931>
- キーワード
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- 布利秋(ぬの としあき)
- 加藤拓川(かとう たくせん)
- 加藤恒忠(かとう つねただ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 過去に加藤拓川の企画展を開催したことがある松山市立子規記念博物館を紹介。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000197015