レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/06/11
- 登録日時
- 2014/11/09 12:57
- 更新日時
- 2015/01/15 16:36
- 管理番号
- 埼久-2014-086
- 質問
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解決
秋庭大膳亮(あきばだいぜんまこと)について書かれた資料を探している。
江戸初期の旗本で、元禄時代に伊奈備前守の下利根川改修工事に従事し、現在の古河市部分を担当したらしい。
- 回答
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秋庭大膳亮に関する記述はいくつかの資料で見られるが、時代は天正から正保年間であり、身分も旗本ではなく名主で里正を勤めたとなっている。
このことについて記述のある以下資料を提供した。
『埼玉苗字辞典 1』(茂木和平著 2004)
p108〈秋庭〉の項に記述あり。
『武蔵国郡村誌 14』(埼玉県編 埼玉県立図書館 1955)
p432-434(葛飾郡)〈小右衛門村〉
p434「開墾家」の項に記述あり。
『埼玉県の地名 日本歴史地名大系 11』(平凡社 1993)
p1068(北葛飾郡栗橋町)「小右衛門村こえもんむら(現栗橋町小右衛門)」の項に記述あり。
『栗橋の地名 もじずり叢書 1』(桐生清著 もじずり叢書刊行会 1994)
p16「栗橋の地名 小右衛門」の項に記述あり。
『栗橋の社寺』(栗橋町教育委員会 1987)
p52「小右ェ門川通神社」の項に記述あり。
『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁 1992)
p704「川通神社」の項に記述あり。
『栗橋町史資料 1 地誌』(栗橋町教育委員会 2007)
p45「武蔵郡村誌」「小右衛門村」及びp110「神社明細帳」「川通神社」の項に記述あり。
『久喜市栗橋町史 民俗3』(久喜市教育委員会 2011)
p93「小右衛門の鎮守神社」「川通神社」の項によると、由緒として「慶長年中に秋庭大膳亮が大山村(現在の古河市大山)から引き移り、上伊坂村の香取神社を勧請したのが始まりという。」「『神社明細帳』で、当初の勧請者が秋庭大膳亮としているが、『郡村誌』でも大膳大夫が関係しており、さらに現在の氏子総代も秋庭家が代々務めている。」との記述あり。
- 回答プロセス
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『埼玉苗字辞典 1』の記述を手がかりに、旧栗橋町関係の地名・町史類、埼玉関係の地名事典類を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090)
- 参考資料
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- 『埼玉苗字辞典 1』(茂木和平著 2004)
- 『武蔵国郡村誌 14』(埼玉県編 埼玉県立図書館 1955)
- 『埼玉県の地名 日本歴史地名大系 11』(平凡社 1993) , ISBN 4-582-49011-5
- 『栗橋の地名 もじずり叢書 1』(桐生清著 もじずり叢書刊行会 1994)
- 『栗橋の社寺』(栗橋町教育委員会 1987)
- 『栗橋町史資料 1 地誌』(栗橋町教育委員会 2007)
- 『久喜市栗橋町史 民俗3』(久喜市教育委員会 2011)
- 『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁 1992)
- キーワード
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- 旧栗橋町 (埼玉県)-歴史-史料
- 秋庭大膳亮(あきばだいぜんまこと)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000161944