レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/11/29
- 登録日時
- 2009/04/23 02:10
- 更新日時
- 2009/04/27 14:40
- 管理番号
- 埼浦-2008-065
- 質問
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未解決
玉蔵院(さいたま市浦和区)の参道は、戦前、杉並木であったが、そのことがわかる図・写真等はあるか。
太平洋戦争中の供出で杉並木はなくなったようだ。
- 回答
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玉蔵院の参道が、杉並木であったことがはっきりとわかる図・写真は見あたらなかった。若干、参道の様子がわかる以下の資料を紹介した。
『新編埼玉県史 通史編6 近代』
p374の写真「埼玉会館」は、杉の供出前の写真と思われる。鳥瞰写真のため、玉蔵院周辺も若干写っている。
『写真集明治大正昭和 浦和 ふるさとの想い出』
p83写真「玉蔵院1」(大正時代初期)は境内の写真だが、杉と思われる木が写っている。
『埼玉県写真帖 埼玉県立図書館復刻叢書21』(埼玉県立浦和図書館 1995)
※埼玉県昭和9年11月発行の複製
写真「浦和市鳥瞰図」に玉蔵院が写っているが、小さいため並木の様子についてはよく分からない。
参考情報として、埼玉県立文書館収蔵資料を紹介した。
「〔玉蔵院門前絵図〕」(玉蔵院文書86)
「〔玉蔵院境内絵図〕」(玉蔵院文書105)
「航空写真 浦和(街)」(「国土地理院空中写真」)昭和17年3月23日
- 回答プロセス
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該当する図・写真が見あたらなかった資料
『中山道分間延絵図 1』(東京美術 1976) 玉蔵院は掲載されているが、参道の並木の様子はよく分からない。
『浦和市指定有形文化財浦和宿絵図』([浦和市立郷土博物館] [1997])
『写真解説 浦和物語 沿革編』(浦和市 1953)
『図説浦和のあゆみ』(浦和市 1993)
『目で見る浦和の100年』(郷土出版社 2000)
『浦和の今昔物語』(草土社 1967)
『記憶の中の風景 写された20世紀の浦和』(浦和市立郷土博物館 2000)
『玉蔵院 浦和歴史文化叢書3』(浦和市郷土文化会 1977)
p4「玉蔵院境内図(『短才見聞録』より)」によると、参道は描かれているが、杉並木についてはなし。
『玉蔵院 浦和歴史文化叢書3 改訂版』(さきたま出版会 2002)
稲村坦元「浦和玉蔵院と印融法印」(『埼玉史談 17(4)』)
『埼玉県史料叢書 4』(埼玉県 1998) p597-633「埼玉縣地誌略」
『新編武蔵風土記稿 [第4期]第7巻』
『江戸名所図会 第4 角川文庫』(角川書店 1968)
『岐蘇名所圖會 3編』(〔埼玉県立浦和図書館(製作)〕 〔199-〕)※複製資料
『木曽路名所図会』(名著出版 1972)
『武蔵名所考』春夏秋冬(〔埼玉県立浦和図書館(製作)〕 〔1986〕)※複製資料
『埼玉県名勝史蹟写真帖』(埼玉県名勝史蹟写真帖刊行会 1928)
『埼玉県名勝旧蹟案内』(埼玉県 1930)
『武蔵野風物 写真集』(靖文社 1943)
『埼玉県女子師範学校卒業記念 昭和4年3月』
『埼玉県女子師範学校卒業記念写真帳 大正6年3月』
『埼玉県女子師範学校写真帳』
『御大礼記念写真帳』(埼玉県女子師範学校 〔1915〕)
『埼玉県師範学校絵はがき』
『埼玉師範創立五十年記念写真帳』
『明治前期手書彩色関東実測図 坤之部』No.491「浦和驛」
- 事前調査事項
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「埼玉の寺 写真紀行1」(埼玉新聞社 1980)p146-152「宝珠山玉蔵院」の項
p147「昔の杉並木の参道は今はなく、仲二商店街になっている。杉並木は戦時中伐採して燃料にしてしまったという。」
p151「この寺の旧絵図面を見ると、往還(中山道)に面して笠木のない門があり、杉並木、黒門、そして楼門と続き(略)」とあり。
- NDC
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- 各宗 (188 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 玉蔵院(ギョクゾウイン)
- 寺院-さいたま市-埼玉県
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000054091