レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/2/6
- 登録日時
- 2016/04/03 00:30
- 更新日時
- 2016/04/03 09:28
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-150096
- 質問
-
解決
仙台市宮城野区蒲生に「日本一低い山」があったというが,東日本大震災による津波で流されてしまったようだ。そのことについてわかる資料はあるか。
- 回答
-
1 蒲生の「日本一低い山」について
下記資料に次のような記述がありました。※【 】内は,当館請求記号です。
資料1 『河北新報』(マイクロフィルム) 河北新報社【PN071.2/カ】
1992年5月15日付夕刊 11面「標高たった6メートル/日和山(仙台・蒲生)は日本一低い山」
「日本一高い山は富士山。では、日本一低い山は? 答えは仙台市宮城野区にある標高6メートルの日和山。茨城県在住の建設省国土地理院の職員が、2万5000分の1の地形図を基に調べた結果分かった。」
「日和山は、半農半漁地帯だった町地区の漁民が、海の観察と、海からの目印として、明治42年ごろ築いた。その後大正2年と8年にも、地区を挙げて日和山を高くしたという。」
1994年8月9日付夕刊 5面 「仙台 なんでも一番/低い山/日和山(宮城野区)/元は潮見の盛り土」
「日和山は明治42年、地元の漁師が潮の状態を観察するためと、海からの目印とする目的で土を盛ったものらしい。昭和初期に国が作製した地図には、既にその名が記されている。」
1996年12月13日夕刊 3面 「標高6メートル 仙台・日和山/「日本一ビリ」5年で“滑落”」
「「日本一低い山」として話題になり、地区民から親しまれている仙台市宮城野区の日和山が、「日本一」の名誉の座を、大阪市の山に奪われていたことが分かった。「日本一ビリ」の山として日和山を抜いたのは、大阪市港区にある天保山(てんぽうざん)。標高4.5メートルで6メートルの日和山より1.5メートル低い。国土地理院が7月に発行した大阪西南部の2万5000分の1の地形図に登場した。」
資料2 宮城県慶長遣欧使節船協会編『海と商人の物語』宮城県慶長遣欧使節船協会, 1999【K290.9/991】
p.15 「蒲生港日和山」 ※モノクロの全景写真あり。
2 震災後の日和山について
前掲資料1 『河北新報』(マイクロフィルム) 河北新報社 【PN071.2/カ】
2011年4月1日付夕刊 3面 「野鳥の楽園 見る影なく/仙台・蒲生干潟」
「干潟を一望できた日和山(6.05メートル)は消滅し、頂上に立っていた一本松は地べたに横たわる。干潟の西側に建てられたばかりの高さ約4メートルの防波堤は所々が決壊し、押し寄せる海水を止めることはできなかった。」
※蒲生干潟の震災前後を比較した航空写真あり。
2012年7月16日朝刊 19面 「蒲生干潟の今(仙台・宮城野区)/生命の楽園 再生の詩」
※日和山跡の写真あり。キャプション「漁の目印にと、地元民が築いた高さ6メートルの日和山。かつて「日本一低い山」と認定されたが、津波で流された。今は亡くなった方への鎮魂と、干潟の再生に石を積み上げ、山は日に日に高くなる」
3 東日本大震災前後の写真
下記資料に,蒲生干潟の震災前後を比較した航空写真(カラー)が掲載されています。
資料3 東北建設協会編『津波被災前・後の記録』河北新報出版センター 2012 pp.160-161 【K369/128】
資料4 『みやぎの海辺思い出の風景』河北新報社2012 pp.64-65【K369/123】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 宮城県仙台市
- 蒲生干潟
- 日和山
- 低山
- 東日本大震災
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000190706