レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年07月28日
- 登録日時
- 2017/12/27 14:30
- 更新日時
- 2018/01/09 17:30
- 管理番号
- 中央ー1-002050
- 質問
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江戸時代後期に大宮周辺で活動していた医師の人数や居住地を知りたい。
- 回答
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網羅的にわかる資料は無かったが、参考までに以下の資料を紹介した。
・『大宮市史 第三巻中 近世編』大宮市役所 1978年
大宮市の寺子屋の師匠の身分について記載があり、医者が含まれている。
宗教・文化編
p.127 第16表「師匠の身分別寺子屋数」、第17表「身分別師匠数」
p.129 第18表「寺子屋師匠の時期別・身分別延人数」
p.136 「医者 市内では六人、全体の四.三%をしめる。…(略)…本市では中丸村の大島家が文化年間より、飯田村の磨田家天保年間より寺子屋を兼業したと伝えており、両家とも現在でも本業の医院を継承している。この他には指扇村の金井徳潤、遊馬村の浪江良元、飯田新田の斎藤祐哲があり、ともに旧家・村吏としても知られる」と記述あり。
・『日本医籍』内務省衛星局 忠愛社 1889年
明治期の資料だが、p.103~104に、埼玉県北足立郡の開業医師の氏名が掲載されている。
国立国会図書館デジタルコレクション インターネット公開 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081(2017年12月27日最終確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市
- 大宮
- 医師
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000227775