レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月23日
- 登録日時
- 2012/02/23 14:55
- 更新日時
- 2013/09/06 17:29
- 管理番号
- 97-B-16
- 質問
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解決
大西の大庄屋井出家について知りたい。
※大庄屋とは、代官と各村庄屋との間にあって、数ヶ村~数十ヶ村を一区域として、代官からの命令などを庄屋に伝達したり、村役人の正邪、村方の利害などに意を用い、これらのことについて処理したり、又は代官に意見を上申したりする。庄屋の中で由緒のある庄屋が一名ないし二名指名仰せつけられ、いわば庄屋の総代格である。身分は百姓であるが苗字帯刀を許された。
- 回答
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【資料1】を調べると、野間郡の大庄屋は新町の井出家が代々仰せつけられ、藩から三人扶持を給せられた。
○旧新町村庄屋井出家旧宅について、文化財の項で記載がある。
旧新町村庄屋兼大井郷大庄屋井出家の居宅であったが、井出家が他他に転出した後、昭和9年に大井村が譲り受け、同18年に内部や窓などを大改造して役場庁舎として使用し町村合併後は大西町役場として、50年まで使用した。内部は改造のため昔の面影は留めないが、屋根上の天水桶は非常に珍しく有名である。
この由来について伊予の史書「松山叢談」に、つぎのことが書かれている。「・・・野間郡庄屋喜三郎なる者豪家なり。船をも持ち酒をも造る金満家なり。人の来りて金を借るに、早く返すと言へば利高く、遅く返すと言へば利安し。惣て金を借らんとするに必ず善事に用ゆるにあらざれば借さざるなり奢侈遊情等の入用にては決して借さぬなり。
偖て諸国中にて屋根へ天水桶をあぐる事停止なり。二三の丸の上に水かめあるのみなり。然るに喜三郎宅には是をあげたり。是は大坂陣の節に○○氏の時なるか船を差出し殊の外運用を達せし故其礼として望の儀差免じ可申と有しに付き、天水桶を願ひしとぞ。今に水がめをあげたる由なり。甚だ希有なる金持なり。 却睡草」
- 回答プロセス
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・基本資料として、【資料1】を調べてみると、目次より”藩政時代(庄屋が村を治めていた頃)”という項目に記載があり、農村行政の組織について説明がある。戦国時代から豊臣秀吉の時代、江戸時代になると徳川幕府によって封建制度が確立し農村の組織も完備したとのことである。
藩政時代の農村行政の組織図が載っている。
各資料により回答にいたる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 四国地方 (218 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】 『大西町誌』 大西町誌編纂委員会/編集 大西町教育委員会 1977年 <請求記号:K292.2 /17>
- 【資料2】 『大西の伝説』 大西中学校生徒会/収集 大西中学校 1971年 <請求記号:K388 /15>
- 【資料3】 『大西のくらし』 大西小学校編・発行 1968年 (愛媛県立図書館所蔵なし)
- 【資料4】 『大西史談』 第1号 大西町史談会編・発行 1979年 <請求記号:K222 /21 /1>
- 【資料5】 『怒麻 』 第11号 第14号 第15号 大西町史談会/編 大西町史談会 1889年 1992年 1993年 <請求記号:K222 /21 /11><請求記号:K222 /21 /14><請求記号:K222 /21 /15>
- 【資料6】 『大西町史跡めぐり案内図』 大西町教育委員会編・発行 (愛媛県立図書館所蔵なし)
- 【資料7】 『大西町の史跡を訪ねて』 大西町教育委員会編・発行 (愛媛県立図書館所蔵なし)
- 『松山叢談』 予陽叢書(予陽叢書刊行会 1935~1936年)第4巻~第7巻に収録 <請求記号:K200 /2>
- キーワード
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- 井出家 いでけ
- 大庄屋(大西町) おおじょうや(おおにしちょう)
- 照会先
- 寄与者
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- 大西町立図書館
- 備考
- 事例出典『郷土資料に関する調査・相談事例集』 愛媛県図書館協会・愛媛県立図書館/編集 愛媛県立図書館 1997年
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000102157