レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年11月11日
- 登録日時
- 2017/01/19 14:38
- 更新日時
- 2017/01/19 14:38
- 管理番号
- 0131224656
- 質問
-
解決
夏目漱石「坊ちゃん」(明治39年発表)の文中に「…六月に兄は商業学校を卒業した。…」とある。「坊ちゃん」の授業の展開として明治39年の商業学校の数を知りたい。
- 回答
-
漱石は「坊ちゃん」の構想を明治39年(1906年)3月に得、同月中に書き上げたようです。初出は同年4月の「ホトトギス」です。
当時の商業関連の学校としては、商業学校(甲種・乙種)、商業専門学校(高等商業学校)及び商業補習学校がありました。
一般的には商業学校というと甲種または乙種の商業学校を指したようですが、兄が卒業したのは商業専門学校のひとつ、東京高等商業学校(現在の一橋大学)と考えられています。
漱石が兄の卒業した学校を“高等商業学校”ではなく“商業学校”と記したことについて平岡敏夫は「『坊ちゃん』の世界」で“坊ちゃん”と兄の不仲を指摘し
「…『高等商業』と呼ばずに『商業学校』と呼んだとすれば旧来のなじんだ呼称にいくぶん軽視したニュアンスをこめてそうしたのかも知れない」
と記しています。(p82)また兄の6月卒業についても一般の中学校・商業学校では考えられず、高等商業学校卒と読み取るべきではないかという旨の記載もあります。(p80)
明治39年の商業学校、商業専門学校及び商業補習学校の数は以下のとおりです。
商業学校 : 64校(甲種50校、乙種14校)
商業専門学校: 6校(官立4校、公立1校、私立1校)
商業補習学校:167校(公立148校、私立19校)
下記サイトにて確認
○国立国会図書館デジタルコレクション
・学制五十年史
p259 商業学校 :官立0、公私立64 計64校
pp249-251 商業に関する専門学校:官立4、公私立2 計6校
pp260-261 商業補習学校:官立0、公私立167 計167校
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1851613 2016.12.11最終確認)
・明治以降教育制度発達史 第6巻
pp792-793 甲種商業学校:公立38、私立12 計50校
乙種商業学校:公立12、私立2 計14校
商業専門学校:官立4、公立1、私立1 計6校
p830 商業補習学校:官立0、公立148、私立19計167校
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449537 2016.12.11最終確認)
○文京学院大学データベース
・経営論集19(1)
島田昌和「戦前期日本の商業教育制度の発展―東京の私立商業学校と渋沢栄一」
p7表2 商業教育関係学校数の推移
甲種商業学校:公立38、私立12 計50校
乙種商業学校:公立12、私立2 計14校
高等商業学校:国立4、公立1、私立1 計6校
商業補習学校:公立148、私立19 計167校
※表は「産業教育七十年史」から作成とあり
(http://www.u-bunkyo.ac.jp/center/library/image/ba2009_001-020.pdf 2016.12.11最終確認)
- 回答プロセス
-
当館所蔵の教育史・産業教育史・明治史及び統計類に明治39年の商業学校数が見当たらなかったため、国立国会デジタルコレクションを確認する。あわせて夏目漱石関連の書籍からもアプローチをおこなう。
作中で
・一家は東京で暮らしていたこと
・兄は実業家志望であったこと
・“坊ちゃん”が私立中学校を卒業し物理学校(現在の東京理科大と言われている)に入学した同年6月に兄が商業学校を卒業したこと
が記されている。
「学制百年史 資料編」の学校系統図(p340)によると、 “坊ちゃん”が私立中学を卒業したのは17歳である。一方、商業学校は甲種で17歳、乙種であれば13歳または15歳、商業専門学校であれば21歳以上の卒業であった。上記の点を考慮すると兄が通っていたのは東京の商業専門学校と推察される。
前掲書「『坊ちゃん』の世界」によると「日本近代文学大系 夏目漱石2」(角川書店1969年、当館未所蔵)に兄の卒業校は現在の一橋大学であろう旨の記述があるとのことであった。
同書を他館より借用して確認したところ、収録されている「坊ちゃん」文中の“商業学校”の注釈(内田道雄氏による)に
「ここでは高等商業学校(現代の一橋大学の前身)をさすものであろう(弟の坊ちゃんが中学校を卒業すると同年の卒業だから。)」
との記載があった。(p51)
また「『坊ちゃん』の世界」には商業専門学校の入学・卒業時期についても記述がある。(pp81-83)
さらに東京高等商業学校(現在の一橋大学)の入学・試験時期について、以下の記述を発見することができた。
・佐々木亨「東京高等商業学校の入学者選抜制度の歴史」
明治35年に東京高等商業学校に入学した塚田氏「…当時の一橋は七月に入学試験をやって九月に入学することになっていたので…」
明治40年に同校入学の太田氏「…上級学校は九月が授業開始で入学試験は六月であった」
名古屋大学学術機関リポジトリ
愛知大学短期大学部研究論集 vol.20 p69
(http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/18137/1/735.pdf 2016.12.11最終確認)
商業関連の各学校の概要は以下の通り。
・商業学校:明治32年の実業学校令により制定。甲種と乙種の二種に分かれる
甲種(修行年限原則3年、年齢14歳以上、高等小学校卒業以上)
乙種(修行年限3年以内、年齢10歳以上、尋常小学校卒業以上)
・商業専門学校(高等商業学校):明治36年の専門学校令及び実業学校令の一部改正に伴い、高度な商業学校は「商業専門学校」と制定
・商業補習学校:明治32年の実業学校令により制定。修業年限3年以内、年齢10歳以上尋常小学校卒業程度以上
下記資料にて確認
○「明治時代史大辞典 第1-2巻」
“高等商業学校”①p926、“専門学校令”②pp459-460、“実業学校”“実業学校令” “実業専門学校”②pp49-151、“実業補習学校”②pp151-152
○島田昌和「戦前期日本の商業教育制度の発展―東京の私立商業学校と渋沢栄一」pp5-6
- 事前調査事項
- NDC
-
- 教育史.事情 (372 9版)
- 参考資料
-
-
平岡敏夫 著 , 平岡, 敏夫, 1930-. 「坊つちやん」の世界. 塙書房, 1992. (塙新書)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002167079-00 , ISBN 482734065X (当館資料番号 111546099) -
宮地正人, 佐藤能丸, 櫻井良樹 編 , 宮地, 正人, 1944- , 佐藤, 能丸, 1943- , 桜井, 良樹, 1957-. 明治時代史大辞典 2 (さ~な). 吉川弘文館, 2012.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023769748-00 , ISBN 9784642014625 (当館資料番号 114702418) -
宮地正人, 佐藤能丸, 櫻井良樹 編 , 宮地, 正人, 1944- , 佐藤, 能丸, 1943- , 桜井, 良樹, 1957-. 明治時代史大辞典 第1巻 (あ~こ). 吉川弘文館, 2011.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023157334-00 , ISBN 9784642014618 (当館資料番号 114702400) -
文部省 編 , 文部省. 学制百年史. 帝国地方行政学会, 1972.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001187329-00 (当館資料番号 111180816)
-
平岡敏夫 著 , 平岡, 敏夫, 1930-. 「坊つちやん」の世界. 塙書房, 1992. (塙新書)
- キーワード
-
- 教育制度-歴史
- 商業学校
- 夏目漱石
- 坊ちゃん
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000206808