レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年7月19日
- 登録日時
- 2012/11/23 13:26
- 更新日時
- 2012/12/21 14:28
- 管理番号
- 中央-1-00430
- 質問
-
未解決
埼玉県嵐山町にある畠山重忠公像の製作方法について書かれた資料はあるか。
- 回答
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「文化遺産オンライン」(http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=243053 (2012.11.23最終確認))によると、設計、施行関係の書類図面等は現存しないと書かれている。
また、以下の資料に写真や当時の説明について少し記述があり。
『菅谷館の主 畠山重忠 嵐山史跡の博物館ガイドブック』 埼玉県立嵐山史跡の博物館 2011
表紙にコンクリート像と制作者たちの写真が載っており、裏表紙に写真の説明として、駒込に住んでいた儒学者小柳通義が昭和4(1929)年春に建立し、平服で鎌倉を臨む姿は当時の菅谷小学校長宮崎貞吉の提案、造形は美術学校出身の浅井正山、碑文と書は小柳通義が行ったと載っている。
制作方法については載っていない。
『菅谷館跡のこと』 関根茂章/執筆 関根茂章 1975
p.10~13に「重忠公像の建設」として、小柳氏が公像を建立した理由と、p.35に建造中の公像と完成した公像の写真が載っている。
制作方法については載っていない。
『嵐山町博物誌 第5巻 嵐山町の中世』 長島 喜平/監修 嵐山町 1997
p.26から畠山重忠について書かれており、公像は竹筋のコンクリート像であることが書かれている。
それ以外の制作方法については書かれていない。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 陶磁工芸 (751 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 畠山重忠
- 嵐山町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000114674