レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/11/29
- 登録日時
- 2007/03/16 02:11
- 更新日時
- 2007/03/16 02:11
- 管理番号
- tr127
- 質問
-
解決
日光金谷ホテル前にある板垣退助の銅像について概略を知りたい。また、戊辰戦争時板垣が日光に来たときの刀に関する資料はあるか。
- 回答
-
1 金谷ホテル前の銅像について
昭和4年に彫刻家白雲本山辰吉によって作られましたが、戦争時に供出されました。現在の像は彫刻家新関国臣により昭和42年に再建されたものです。
・『広報にっこう 平成2年11月1日号』p11
・『もうひとつの日光を歩く』(日光ふるさとボランティア/編 随想舎 1996)p32によれば 「この姿は三二歳当時の官軍の服装である」とのことです。
また、現場には銅像についての石碑があり、下記資料にその碑文が掲載されています。
・『日光の碑標』(星野理一郎/著 星野理一郎 1993)p129~131
同資料の解説に「この像は退助が日光に来た時の服装。年は三十二才で、その時の風貌を出す。服装はブッザギ羽織で、刀をさし草鞋をはいている」とあります。刀の銘等については触れられていませんでした。
2 像の大きさについて
・台座を含めて約2.58m(八尺五寸) 『日光市広報 昭和42年5月号』 p3
・台座を除いた全身の大きさは約230cm
刀は二本差しているのですが、長い方は約140cmであるとのことです。
(日光市立日光中学校にある等大のレプリカを計測 日光図書館職員による)
戊辰戦争時に所持していた刀については、当館および日光市立図書館の資料からは判明しませんでした。
3 その他板垣退助が所持していた刀について
『杉山茂丸伝』(野田美鴻/著 島津書房 1992)p390 には、
「茂丸が鑑定すると備前大宮の初代盛重という得難い銘刀であった。思わず『これを何処で手に入れた』と茂丸が問い掛けると『板垣伯から君を名差しで買い取って貰うようにと頼まれ、持参したのだ。…(中略)…』この返事に驚いた茂丸は「この刀は伯が維新の際にその功により拝領したものだと聞いている。…(後略)」とあります。
明治44年頃、困窮した板垣退助が杉山茂丸に刀を売ろうとしたというエピソードが紹介されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 板垣退助
- 日光
- 銅像
- 刀剣
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000033991