レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/04/14
- 登録日時
- 2013/12/28 00:30
- 更新日時
- 2014/03/23 12:11
- 管理番号
- 北方 13-0042
- 質問
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解決
跡佐登硫黄山という山について書かれている資料を探している。特に、歴史的な事柄、発見の経緯について書かれているものを。(出典:『弟子屈町史』 弟子屈町史編さん委員会編 弟子屈町 1981年 p.141)
- 回答
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「跡佐登」およびアイヌ語地名の「アトサヌプリ」をキーワードに図書と雑誌記事を蔵書検索。
『北の火の山 続摩周・知床編 アトサヌプリ・摩周岳・知床硫黄山・羅臼岳』(小池省二著 中西出版 1999.6 請求記号:453.8/KO/2-[2])のp.16-17にアトサヌプリの概要が記述してあり、参考文献でいくつかの資料が載っている。また、p.39の鉱山鉄道の記述の中で、硫黄を搬出する鉄道に関する資料を紹介している。他、アトサヌプリに関する参考文献の記述がp.72にある。
『硫黄山と鉄道百年物語』(種市佐改著 種市佐改 1989 請求記号:212.51/TA)のp.3-4に硫黄鉱石の発掘と採掘の記述がまとめられている。
それによれば、『北海道鉱山略記』によると慶応年間(1864~1868年)に松前藩の役人が硫黄を採取したという口伝えがある。
『弟子屈町史』 (更科源蔵編)では安政年間(1854~1860年)ともいわれているが現在残っている資料では明治五年とされていると、記述されている。
その根拠となった資料2点(『弟子屈町史』 更科源蔵編 弟子屈町 1949 212.51/TE p.14と『北海道鉱山略記』 多羅尾忠郎編 北海道庁 1890 562/TA p.14-15)を提供する。
また、雑誌記事で「北海道鉄道物語9 釧路鉄道会社 跡佐登の硫黄搬出の鉄道」(『しゃりばり』 通巻166号 北海道開発問題研究調査会 1995.11 p.48-49)にも詳しい記述あり。
いずれも、明治5年に佐野孫右衛門が吉田善吉に調査させ、硫黄鉱を確認したとある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 7版)
- 参考資料
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- 1 北の火の山 続摩周・知床編 アトサヌプリ・摩周岳・知床硫黄山・羅臼岳 小池 省二∥著 中西出版 1999.6 453.8/KO/2-[2] p.16-17,39,72
- 2 硫黄山と鉄道百年物語 種市 佐改∥著 種市佐改 1989 212.51/TA p.3-4
- 3 弟子屈町史 更科源蔵∥編 弟子屈町 1949 212.51/TE p.14
- 4 北海道鉱山略記 多羅尾 忠郎∥編 北海道庁 1890 562/TA p.14-15
- 5 しゃりばり 通巻166号 北海道開発問題研究調査会 1986 Z104 p.48-49
- キーワード
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- 跡佐登
- アトサヌプリ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000142691