レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005/11/29
- 登録日時
- 2006/05/12 02:11
- 更新日時
- 2008/03/17 11:58
- 管理番号
- 埼熊-2005-103
- 質問
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解決
高城神社(熊谷市)境内に「熊野堂の石碑」についての看板があるが、熊野堂がかつてどこにあったのかを知りたい。
- 回答
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現在の熊谷市宮町2丁目にあたる。
- 回答プロセス
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『熊谷郷土会誌 第2号』所収「熊野社旧蹟」の碑文、『熊谷直実』(熊谷市文化連合)の「熊野堂」、『熊谷市郷土文化会誌 第24号』所収の「熊野堂遺跡と直実祭」等によると、熊野堂は明治40年合祀により高城神社の境内に遷されたが、大正2年に旧跡を永く伝えるため熊野堂跡地に碑を建立した。よって、現在石碑のある場所が、熊野堂のあった場所。
場所については、各資料に以下の記述が見られた。
『熊谷市史 後篇』:「当市役所の西約200メートルの地」
「熊野社旧跡」(村田安穂著 『熊谷市郷土文化会誌 第39号』所収):「熊谷町大字熊谷字熊野」「宮町1丁目」
「熊野堂」(野口泰助著 『熊谷市郷土文化会誌 第39号』所収):「熊谷区裁判所ノ北裏」
具体的な場所がわかりにくいため熊谷市役所文化財保護係に問い合わせ、『ゼンリン住宅地図 熊谷市 2004』で確認すると、宮町2-13あたりに〈熊野堂〉と明示されてはいないが記念碑の地図記号あり。
なお、『熊谷市史 後篇』によれば、〈熊野堂〉は「熊谷直実の父、直貞が熊を退治しその頭を葬った処と伝えられ、後に熊野権現を勧請して熊野社と称した」とのこと。
また、「熊野堂」(野口泰助著 『熊谷市郷土文化会誌 第39号』所収)には、様々な出典資料が紹介されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『熊谷郷土会誌 第2号』
- 『熊谷市郷土文化会誌 第24・39号』
- 『熊谷直実』(熊谷市文化連合)
- 『熊谷市史 後篇』
- キーワード
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- 熊野堂(クマンドウ)
- 神社
- 郷土資料
- 熊谷市-埼玉県-歴史
- 照会先
- 寄与者
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- 熊谷市社会教育課文化財保護係
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000028637