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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000039126
提供館
(Library)
秋田県立図書館 (2110003)管理番号
(Control number)
秋田-0870
事例作成日
(Creation date)
20070930登録日時
(Registration date)
2007年11月09日 02時11分更新日時
(Last update)
2010年06月18日 15時05分
質問
(Question)
「栗駒山(須川岳)の須川温泉はかつて秋田側に流れていたが、江戸初期に引き湯を拒絶したのでその後は岩手側が引き湯をすることになった」ということについて、その事情などが記された資料があるか。
回答
(Answer)
『東成瀬村郷土誌』東成瀬村教育委員会 1991 p.592~595須川温泉の項目に、以下の記述があり。
 “湯尻は正保元年(1644)まで羽後国秋田領に注流していたものを、故あって秋田藩家老梅津半右エ門の指図により、仙台領に切り落としたものだと伝えられているが、それは温泉による湯尻(強酸性泉)が毒水となって水田に害を与えるということであった。”
同書p.48にも、同様の説明があった。同p.42には、このことについて『秋田風土記』より引用されているが、 ”慶長年中梅津憲忠温泉尻を仙台領に切落さしめて他領とす。” とあり、年代が違っている。
正保元年にも、梅津半右衛門憲忠の第二子にあたる梅津半右衛門忠国が家老として在職しており(在勤期間寛永10(1633)年~明暦3(1657)年7月23日)、どちらが正しいかは不明である。『秋田いで湯100泉』の須川温泉の項にも流路を変えたことについて記述があったが、「江戸時代初期」とあるのみだった。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
東北地方  (212 8版)
参考資料
(Reference materials)
『東成瀬村郷土誌』東成瀬村教育委員会 1991(214.9/ヒヒ/郷)
『秋田いで湯100泉』永井登志樹/著 無明舎出版 1987(290/ナア/郷)
『秋田人名大事典第二版』秋田魁新報社 2000(280/アア/郷)
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
一般利用者
登録番号
(Registration number)
1000039126解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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