本当です。外務省記録「各国ノ領土譲渡租借及同風説関係雑件」に関係記録が含まれています。
当時、チリ国では軍艦建造の財源を捻出するために、「イースター島」(記録ではスペイン語で復活祭(イースター)を意味する「パスクア島」と記述)と「サラ・イ・ゴメス島」の売却を検討しており、1937年6月上旬、在チリ国公使三宅哲一郎(みやけ・てついちろう)を通じて、日本側に打診がありました。三宅公使は広田弘毅(ひろた・こうき)外務大臣の命を受け、イースター島の現況や地理的・経済的価値について調査し、島の概要や地図等の参考資料を送付しました。
外務省では、これらの資料の写しを海軍と水産関係企業に送付しました。海軍からは①軍事上の価値はそれほどないが、航空機が発達すれば、航空路用地として有益である②産業的見地からは漁業基地に適するので関係者の意向を確認する必要がある③購入する場合、日本の領有に米国の反対が予想されるので、表向きは漁業使用とした方が良いだろうとの意見が出されました。
チリ国とのその後の交渉経緯を示す記録は見あたりませんが、同年6月30日に三宅公使がチリ国大統領と謁見した際に、大統領から英国、米国にも売却の打診を行ったことを告げられたため、三宅公使は、しばらく静観する方が得策との意見を広田外務大臣に具申しています。