「太平洋の架け橋になりたい」という言葉で有名な新渡戸稲造(にとべ・いなぞう、1862~1933)は、その言葉通り、国際親善のために尽くし、1933年(昭和8年)、カナダで開催された太平洋調査会の会議に出席した後に病に倒れ、その生涯を閉じました。
西海岸に位置し、日本からカナダへの玄関口だったバンクーバーでは、1935年(昭和10年)8月、在留邦人とバンクーバー日本協会が協力して、新渡戸の功績を記念する石燈とそれを中心とする日本庭園をブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)構内に造園し、同大学に寄贈しました。庭園は、周囲との調和を考え、純粋な日本式ではなく、日加両国の樹木からなる折衷様式で造られました。
石井康(いしい・こう)バンクーバー領事は、寄贈式典でのスピーチで、新渡戸の輝かしい業績を象徴するものとして輝く石燈を寄贈したことを述べ、この庭園により日加の親善理解が一層深まることを希望しました。
新渡戸が亡くなった状況や、庭園が造られた当時の様子を示す記録は外務省記録「本邦人弔喪関係雑件」に残されています。
その後、1958年(昭和33年)にUBCによる日加文化交流が企画され、翌年、新渡戸ガーデンは拡張・改築されました。
1958年夏に日本を訪れたUBC芸術科長は、日本庭園を視察した後、新渡戸ガーデンを拡張し、より本格的な日本庭園に改築することを同大学総長に提案しました。新渡戸とも面識があった同総長はこの案に賛成し、日本側に協力を要請、バンクーバー日系市民協会や日系庭園業者等が改築に協力しました。
庭園が拡張・改築された際の関連記録は第14回外交記録公開で公開された外務省記録「本邦諸外国文化交換関係雑件」に綴られています。
新渡戸ガーデンは現在もUBC構内にあり、2009年には、天皇皇后両陛下が訪れるなど、日加親善の場となっています。
(注)加奈陀=カナダ