レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年07月05日
- 登録日時
- 2011/07/05 12:29
- 更新日時
- 2011/07/07 13:00
- 管理番号
- 文星図2011-1
- 質問
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解決
日光東照宮の彫刻「唐子遊び」(からこあそび)について。遊びの種類、モチーフの意味を知りたい。
- 回答
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以下『日光東照宮の謎』(高藤晴俊 著 講談社現代新書1292 講談社)による
○遊びの種類
陽明門上層の高欄に「唐子遊び」(からこあそび)と呼ばれる一連の彫刻が30体あり、そのうち人物を彫刻したものが20体、計87人の子供が彫刻されており、その他10体は花鳥の彫刻である。
それらの主題は次のとおりである。
・正面(南側・向かって右から)①孟母三遷 ②奏楽 ③舞踏 ④石拳 ⑤司馬温公の瓶割 ⑥鬼ごっこ ⑦木馬遊び ⑧蝶取り ⑨石拳
・西側(右から)①雀 ②雀 ③鸞 ④布袋和尚と童子 ⑤鸞 ⑥野遊び
・背面(北側・右から)①犬との遊び ②ミミズク ③灌仏会ごっこ ④山鵲 ⑤雪だるま作り ⑥瑠璃鳥と雀 ⑦動物いじめ ⑧山鵲 ⑨木馬遊び
・東側(右から)①鳩 ②倒れた友の手を取って引き起こす ③寒い夜火鉢を囲んだ集まり ④喧嘩 ⑤鳩 ⑥鳩を捕えるところ
○モチーフの意味
『東照宮』大河直躬著(鹿島出版会)では、『中国的な主題を用いた彫刻は、中国の故事を物語るものか、あるいは風俗を表すもので思想的な内容を特に主張するものではない』とあるが、著者は次のように述べている。
『東照宮が造営された当時の人々にとって、「子供の遊ぶ姿」が、「元和偃武」あるいは「天下泰平の御代」の具体的なイメージとしてとらえられていたのではないか』
『陽明門の「唐子遊び」の彫刻は、家康によって天下統一がなされ、子供たちが安心して遊べる世の中になった、ということを意味していたのである。子供たちが安心して遊べる社会の構築が、徳川政権の目指すべき理想の社会であった、と解釈されよう。』
・なぜ唐子であったか
『人物彫刻の下絵が狩野派によって描かれたであろうことが、直接の理由と考えられる』
『常に海外に目を向け、海外の文化に憧れを抱いた日本人特有の表現手段であったように思われる』
- 回答プロセス
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自館の所蔵検索を行う。
キーワード 「唐子」→当該資料なし
「東照宮」→13件ヒット
そのうち、日光東照宮の彫刻に関するものがあったが、当時貸出中であったため、内容確認出来ず。
『日光東照宮の謎』に、「唐子遊び」に関する記述を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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『日光東照宮の謎』 高藤晴俊 講談社現代新書1292 講談社(1996)
(p.140~157)
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『日光東照宮の謎』 高藤晴俊 講談社現代新書1292 講談社(1996)
- キーワード
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- 唐子遊び
- 日光東照宮
- 彫刻
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000088095