レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年1月24日
- 登録日時
- 2017/01/24 14:20
- 更新日時
- 2018/04/02 12:45
- 管理番号
- 2016-112
- 質問
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解決
『平安時代史事典』本編 上(古代学協会, 古代学研究所編東京 : 角川書店 , 1994)によると
「近衛殿」は”承安二年(一一七二)に焼亡にあったが、正治二年(一二〇〇)に再建、以後、近衛家代々の本邸として伝領された”とある。
その根拠となる資料を探している。『平安時代史事典』に史料として挙げられているものは、近衛殿が焼失した時期より時代が前のものであるため掲載はないと思われる。
- 回答
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近衛殿が承安二年に焼亡にあったことは『群書類従』公事部に所収の『清獬眼抄』六百十一ページに「一近衛殿焼亡事」として、
承安二年十二月六日に記載されています。
再建されたことは、正治二年の『猪隈関白記』第九巻(藤原家實著)に正治二年二月十一日に記載されています。
- 回答プロセス
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1. 承安二(1172)年に焼亡にあったことを確認できる資料
(1)本学契約データベース「Japanknowlede Lib」『国史大辞典』の「近衛殿」の項より、
「承安二(1172)年十二月には基実の子基通居住の近衛殿が焼亡(『清獬眼抄』)とあり。
同じく『国史大辞典』によると『清獬眼抄』は『群書類従』公事部に所収とあり。
(2)本学契約データベース「Japanknowlede Lib」『群書類従』にて「近衛殿」で全文検索を検索
→『清獬眼抄』p.611「一近衛殿焼亡事」がヒットした。本学今出川図書館に冊子の所蔵もあり。
2.正治二(1200)年に再建されたことを確認できる資料
(1)CiNii Articles
検索キーワード「近衛殿」と入力して検索。
・川本重雄「複数の御所で構成される邸宅 : 高倉殿・九条殿・近衛殿」『学術講演梗概集. F, 都市計画, 建築経済・住宅問題, 建築歴史・意匠』1988, 691-692, 1988
→「正治2年に近衛殿の北に新しい御所を造り、基通だけが移ったことが『猪隈関白記』正治2年12月29日に書かれている」とあり。
(2)上記論文で紹介されていた、川上貢『日本中世住宅の研究』(新訂)東京 : 中央公論美術出版 , 2002
巻末索引に「近衛殿」の項有り。「第三編 鎌倉時代公卿邸宅の研究 第一章 近衛殿の考察」に、
『猪隈關白記』正治2年2月11日に新造されたことが書かれているとあり。
→本学今出川図書館所蔵の『大日本古記録 猪隈關白記二』 ([藤原家實著] ; 東京大學史料編纂所編纂東京 : 岩波書店, 1972.5-1983)で確認したところ、上記内容を確認出来た(『猪隈關白記』第九巻 正治二年)。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 古代学協会・古代学研究所編. 平安時代史事典. 角川書店, 1994. (NCID:BB00914173)
- Japanknowledge Lib (参照:2017-1-24)
- 国史大辞典編集委員会編. 国史大辞典 5. 吉川弘文館, 1985-02. , ISBN 4642005056 (NCID:BB00588096)
- 川本重雄. 9025 複数の御所で構成される邸宅 : 高倉殿・九条殿・近衛殿. 1988-09-01. 学術講演梗概集. F, 都市計画, 建築経済・住宅問題, 建築歴史・意匠 1988 p. 691-692
- 川上貢著. 日本中世住宅の研究 新訂. 中央公論美術出版, 2002. , ISBN 4805504188 (NCID:BB00547293)
- 東京大学史料編纂所/編纂. 大日本古記録 猪隈関白記 2. 岩波書店, 1987. , ISBN 4000095625 (NCID:BB00664920)
- キーワード
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- 近衛殿
- 群書類従
- 猪隈関白記
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 歴史
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000207216