レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年09月12日
- 登録日時
- 2020/10/15 17:18
- 更新日時
- 2020/11/05 14:12
- 管理番号
- 2020-34
- 質問
-
解決
昭和7年3月に毎日新聞大阪本社より、専売店を作るために来松した者と、当時松山で間島新聞店を営んでいた間島との間に起こった「間島事件」について掲載されている資料があるか。
- 回答
-
【資料1】p25、昭和9年3月10日の項目に記載あり。
「松山地区の大阪系の新聞は間島新聞店が一手に各紙を取り扱っていたが、間島新一はもともと朝日系の香川県出身で”傾斜販売”の噂もあって、毎日としては面白くなく、松山へ自社の専売店をつくるべく大阪本社営業局の幹部高橋象平を派遣、間島との交渉を重ねたが、話し合いがつかず、毎日は強行して専売店を新設、高橋象平が店主となって配布、そのため大混乱となった。高橋は間島から読者名簿をもらえず、全戸へ配った。そのため一軒の家に高橋店と間島店から新聞が投入された。
間島対高橋の問題は自動的に朝日対毎日本社間の争いに発展、最後には裁判問題まで発展、長く尾を引いた。
その間、毎日は朝日に勝つため飛行機で連日松山へ新聞を輸送した。
後日両者で話し合いがつき、飛行機での新聞輸送は止めたが、朝日と同じく今治まで(尾道経由)自動車で取り出しに行った。
国鉄予讃線は昭和二年四月三日に北条~松山間は開通しているが、新聞販売競争の激しさから国鉄では到着時間が遅いため大阪紙は尾道経由~今治間を特船で運び、今治~松山間はトラック輸送をしていた。大体今治~松山間を五十分程度のフルスピードでとばして最高三十九分で帰ったときもあったようである。そのため二度ほど海へ飛び込んだこともある。また人をひいた事件も発生した。現代では、考えられないことであり、愛媛県の新聞販売界の大きな暗点をのこすできごとであった。」
※提供資料に事実誤認あり。備考を参照のこと。
- 回答プロセス
-
【資料2】~【資料10】には記載なし。
人名事典【資料11】~【資料14】にも「間島新聞店」の間島氏は記載なし
当時の地方紙である「海南新聞」「愛媛新報」の昭和9年3月10日前後にも記載なし。
【資料15】の巻末索引を「間島新聞」で引くとp659-660に「間島新聞販売店争議」が出てくるが、これは大正14年~昭和2年の労働争議なので該当せず。「これは、当時としては労働者の勝利であり、加えて幼少年から成る争議団、松山合同労組が行った最初の争議で、全国的に例の少ない四〇日にわたる配達員のストライキという点で注目された」
データベース『えひめの記憶』(愛媛県生涯学習センター提供:https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/search)を「間島」で検索するが、新聞販売店に関連するのは労働争議のみ。
- 事前調査事項
- NDC
-
- ジャーナリズム.新聞 (070 9版)
- 参考資料
-
- 【資料1】『年表、愛媛新聞販売史』(吉田 宗夫/著 吉田宗夫 1981年)<当館請求記号: K070-5>
- 【資料2】『愛媛新聞八十年史』 (愛媛新聞社 1956年)<当館請求記号: K070-1>
- 【資料3】『愛媛新聞百年史』 (愛媛新聞社百年史刊行委員会/編集 愛媛新聞社 1976年)<当館請求記号:K070.67-エヒ-1976>
- 【資料4】『愛媛新聞・百二十年史』 (愛媛新聞百二十年史編纂委員会/編集 愛媛新聞社 1996年)<当館請求記号:K070-9>
- 【資料5】『朝日新聞七十年小史』 (朝日新聞社/編 朝日新聞社 1949年)<当館請求記号:070.6-4>
- 【資料6】『実録 朝日新聞』 (細川 隆元/著 中央公論社 1958年)<当館請求記号:070.6-5>
- 【資料7】『朝日新聞外史 騒動の内幕』 (細川 隆元/著 秋田書店 1965年)<当館請求記号:070.6-6>
- 【資料8】『毎日新聞七十年』 (社史編纂委員会/編集 毎日新聞社 1952年)<当館請求記号:070.6-9>
- 【資料9】『毎日新聞百年史』 (毎日新聞百年史刊行委員会/編集 毎日新聞社 1972年)<当館請求記号:070.6-10>
- 【資料10】『愛媛県警察史 第2巻』 (愛媛県警察史編さん委員会/編集 愛媛県警察本部 1978年)<当館請求記号:K318.8-7-2>
- 【資料11】『伊予偉人録』 (城戸 八洲/編著 愛媛県文化協会 1936年)<当館請求記号:K280-5>
- 【資料12】『海南之新人物』 (岩泉 泰/著 大東通信社 1923年)<当館請求記号:K280-17>
- 【資料13】『愛媛県人物名鑑』第1輯・第2輯 (海南新聞社 1923年)<当館請求記号:K280-26>
- 【資料14】『愛媛県紳士録 昭和9年刊行』(愛媛新報 -- 1934年)<当館請求記号:K280-27>
- 【資料15】『愛媛県百科大事典 下』 (愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室/編集 愛媛新聞社 1985年)<当館請求記号:R K290-63-2>
- キーワード
-
- 愛媛県松山市
- 全国紙
- 新聞屋
- 専売店
- 複合店
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
2020年10月追記
『朝日新聞販売百年史 大阪編』 (大阪本社販売百年史編集委員会/編集 朝日新聞大阪本社 1979年)<当館請求記号: 070.67-アサ-1979>(2010年、当館に受入れ)p360-361「松山の”間島事件”」の項目あり。【資料1】より詳しく『新聞販売百年史』(当館未所蔵)からの孫引きあり。この資料では時期が「昭和7年3月」、店主は「間島新七」。
東京大学学術資産等アーカイブズポータル(https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/)で「間島新七」を検索すると、6件ヒットし、5件は昭和7年間島新聞舗 店主間島新七の作成(推察含む)。1件は「愛媛時報 第五十一号 昭和7年11月10日」の切り抜き両面2ページで大阪毎日新聞社と松山市・間島新七氏の対立の記事。
「昭和7年3月」「間島新七」が正しい。
東京大学学術資産等アーカイブズポータルを「間島新聞」で検索すると「松山間島店問題について」という昭和7年11月8日に大阪毎日新聞売捌店有志が作成した印刷物もヒットする。
国立国会図書館デジタルコレクションを「新聞販売」で検索。『新聞販売総覧. 昭和8年版』(info:ndljp/pid/1241877:国立国会図書館/図書館送信参加館内公開)の「歐洲新聞界の現勢 刀禰館正雄」「愛媛縣/1-9」の3番目に「間島新七君」の項目がある。「間島新聞店主(所)三番町七一(電)一八三(経)個人(駅)松山駅二丁(扱)大朝【キ】其他【ホ】 副業に貨物自動車輸送事業を営む、昭和七年秋大毎本社との間に所謂間島問題起り、大毎の販売権を離し大朝専売店として立つに至る、新聞は天下の公器であると共に、興論の醸成と感化の機関たる重責を忘れてはならないと思ふ(市内支店)松山市一番町、一番町支店、同古町、古町支店、同河原町、河原町支店」
間島事件についてさいたま市立中央図書館の登録があるが、大正9年の満州国・間島(かんとう)市に馬賊襲撃という別の事件。
(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000184803)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000288307