レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年10月27日
- 登録日時
- 2019/11/12 12:41
- 更新日時
- 2020/07/03 16:34
- 管理番号
- 2019-37
- 質問
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解決
四国の高校野球の歴史を調べていたら昭和32年頃愛媛県に学校法人金亀学園という学校があった。その学校はすでに廃校になっている。愛媛のどこにその学校があったのか知りたい。また誰が経営運営していたのか調査してほしい。
- 回答
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松山市竹原町に松山女子高等学校→金亀高等学校があった。(1957.5.20-1962.6.21と推定される。)井上頼明が経営していた。
- 回答プロセス
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1【資料1】1958年(1957.10発行)のp523に学校法人金亀学園の広告の掲載があり、次の学校があったこと、理事長名及び本部住所。
松山理容美容専門学校
四国電波専門学校
四国女子専門学校
四国速記専門学校
四国技芸専門学校
松山女子高等学校(普通科・家庭科・商業科)
理事長 井上頼明
本部 松山市南持田町23-1
2 以下、内容が高等学校に関するものであるので、金亀学園の中の松山女子高等学校に絞って調査。【資料2】の「第6章学校教育の進展 4私立高等学校の進展 私立高等学校の設置廃止」の項目p474-475に、松山女子高等学校の設置認可について、次のとおり記述がある。廃止についての記述は、不明。
認可年月日 昭和32年5月20日
指令番号 地第682号
名称 松山女子高等学校
位置 松山市竹原町地蔵坊128
設置者 学校法人金亀学園理事長 井上頼明
備考 愛媛県告示第475号 昭和32年5月24日
3【資料1】を数年分確認したところ、県内の学校の校長、教頭名が一覧となっているものに、それぞれ次のとおり掲載。
1958年(1957.10発行) p357 松山女子高等学校 土橋町 電5465 野間進 相原敞彌
1959年(1958.10発行) p346 松山女子高等学校 土橋町 電5465 野間進 森悦三郎
1960年(1959.11発行) p363 松山女子高等学校 竹原町 電2-5622 石川哲三郎 日山正広
1961年(1960.10発行) p389 金亀高等学校 竹原町 電②5622 石川哲三郎 平松種将
1962年(1961.10発行) p403 金亀 竹原町 電②5622 井上卓美 宇都宮要
この前後のものには、掲載がなかった。また、土橋町と竹原町は隣接しており、町名区域の変更があった可能性もあり、場所が一定であったかどうかは不明。
4 当時の住宅地図の当館所蔵のものにあたったところ、【資料3】p6には、松山女子高等学校、【資料4】p45には、金亀高等学校として掲載があるが、いずれも、地図に番地の記載がなく、町境もはっきりしていない。
5【資料5】昭和34年度p279-280に松山女子高等学校(松山市竹原町)、昭和35年度p281-282に金亀高等学校(松山市竹原町)として掲載されている。
6 経営者の井上頼明について、昭和37年6月22日の愛媛新聞9面の「金亀学園、廃校に 債権者集会で決定」記事の中には、理事長の記述がなく、いつまで経営していたかは、不明。この人については、【資料1】の1957年(1956.10発行)の「名士録」の項目p410に掲載がある。
生年月日 明37.12.11
出身地 八幡浜市
現職 金亀学園理事長
学歴 愛媛師範卒
略歴 県美術協会長
現住所 松山市南持田町23
- 事前調査事項
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高校野球創部調査β版
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『愛媛年鑑』(愛媛新聞社 年1回発行) <当館請求記号:K059-2>
- 【資料2】『愛媛県教育史 第3巻』(愛媛県教育委員会 1971年) <当館請求記号:K372-12-3>
- 【資料3】『松山市住宅明細図 1957』(都市企画協力会出版部 1957年) <当館請求記号:KM31-5-57>
- 【資料4】『西日本住宅詳細図 松山市』(善隣出版社 1960年) <当館請求記号:KM31-6-60>
- 【資料5】『愛媛教育関係職員録』(愛媛県教員組合 年1回発行)<当館請求記号:K370-1>
- キーワード
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- 金亀学園
- 井上頼明
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000265106