レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年03月27日
- 登録日時
- 2007/03/30 18:29
- 更新日時
- 2018/10/05 16:08
- 管理番号
- 福井県図-20070311
- 質問
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解決
江戸時代に大野藩が樺太の鵜城(ウショロ)に元会所というのを置いた。それがあった場所の地図が欲しい。元会所の写真を大野市図書館を通じて借りた県立図書館の本で見た。今度その場所に行きたいので、地図が無理でもだいたいの場所がわかるなら知りたい。
- 回答
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大野市歴史博物館をご紹介しました。
【回答後追加情報】
金沢大学附属図書館様から所蔵資料について、次のようにご回答いただきました。
『樺太市街地図・商工人名総覧』には、記載なし。
『樺太要覧』昭和5年、『樺太概要』昭和5年、『樺太地誌』明治41年には、樺太全図はあるが、鵜城の市街図まではない。
また、北海道立図書館にある下記書籍をご教示いただきました。
『史跡鵜城:附鵜城の現況』鵜城青年団/編,鵜城村(樺太),1934,81p,図版 地図.
近畿大学様から、コメントにて次のようにご教示いただきました。
『樺太の歴史』 西鶴定嘉著 国書刊行会 , 1977 (昭和16年刊の複製)
p.183に「北海紀行所載・鵜城の図」があり、この説明に下記の記述がありました。
「ウシトモナイ川の右岸に役邸とあるが元会所である。」本書の地図は小さいものなので、判読できません。
しかし、近代デジタルライブリーに『北海紀行』は、収録されていました。
http://kindai.ndl.go.jp/ (2007/04/04確認)
『北海紀行』 / 林顕三著,如蘭堂, 明7.6
全国書誌番号 : 40007110
[第6冊]附録 p.40 「樺太州西海岸鵜城之図」 右のページのほぼ中央に該当する「役邸」があります。
(「右岸」とあるのは、「左岸=下流に向かって左」の誤りだと思われます。)
画面上では、確認しにくいので、PDFでダウンロードされますと、拡大が容易で探しやすいです。
また、『樺太の歴史』のp.185には、「鵜城元会所趾」として小さいですが写真が掲載されています。その説明には、「建物は腐朽せし旧亭に模して建築したものである。昭和九年史蹟に指定さる。」とありました。
『望郷樺太 : 写真集』 望郷樺太編纂委員会編 国書刊行会 , 1979 の
p.170-171には同じ写真と思われるものが、少し大きく掲載されています。
その説明には、
「鵜城村の南方の小高い大地にあり全市街を見渡せた。
越前大野藩が北辺開発のため箱館奉行の許可を得て設置したもの。」
とありました。
- 回答プロセス
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・Googleで「カラフト 元会所」と検索すると、サハリン歴史年表が出てくる
1858年(安政5年)に大野藩がウショロに元会所を設置とある
・所蔵資料で確認する
『福井県史』通史編 4 p853に「ウショロ元会所」の項あり
写真がついているが、大きすぎて、詳しい場所はわからない。
・自館OPACで「カラフト」と検索して、関連する本を5冊ほど見るが、「元会所を設置」の記述は見られるが、場所まではわからず
・当館の古地図を見るが、城下町などばかりで、辺境のものは見つけられず
・北海道大学付属図書館北方資料室の北海道関係地図・図類目録を検索するが、ヒットしない
・上記資料室に調査依頼をするが、古地図や旧記の調査はできないと回答あり
・念のため大野市歴史博物館を紹介した。
※ウショロの市街地図のように詳しいものはない。
昭和11年に測量した樺太の他の町の地図が、公民館にはある。とのこと。
【補足】当館所蔵の以下の資料に、樺太の中で、鵜城がどの辺かというぐらいならば、わかる地図がありました。
(伊能図などにないかと思い、書架をブラウジングしていて発見)
『日本北辺の探検と地図の歴史』秋月俊幸/著 1999.7 北海道大学図書刊行会(448.9/アキス 1013299191)
p.370 岡本監輔『窮北日誌』所載「カラフト島図」
- 事前調査事項
- NDC
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- アジア (292)
- 参考資料
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- 福井県史
- 福井県人樺太経営史
- 樺太沿革行政史
- 日本古地図集成
- キーワード
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- 鵜城(ウショロ)
- 樺太(カラフト)
- 元会所
- 照会先
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- 北海道大学附属図書館北方資料室
- 大野市歴史博物館
- 金沢大学附属図書館
- 寄与者
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- 近畿大学
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000034260