レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/11/18
- 登録日時
- 2018/02/12 00:30
- 更新日時
- 2018/02/12 10:58
- 管理番号
- 北方 17-0053
- 質問
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解決
明治から大正期において、道内で煉瓦を作っていた場所を知りたい
- 回答
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関連資料を調査、内容は次のとおり
『日本煉瓦史の研究』(回答資料1)
p160~164:「北海道の煉瓦」概要
明治5年:開拓使茂辺地煉化石製造所(現上磯町茂辺地)
明治16~17年頃から明治24年以降:江別太煉化石工場(現江別市)
明治17年:鈴木煉瓦工場(白石村 現札幌市白石区)
この工場については、大正7年の記録もある
明治25年:樺戸集治監(現月形町)
『北海道開拓記念館調査報告 19号』(回答資料2)
p49~56:「旭川地域のレンガ史概観」
p49:神居村(現旭川市)で煉瓦製造が行なわれていたとされ「(工場の)正式の設置年月は不明である。
これを北海道鉄道部が明治29年11月に買収し(中略)、事業を開始したのが、記録されている最初」とある。
また、同工場は明治32年に、上記の鈴木煉瓦工場が払い下げを受け「鈴木煉瓦工場旭川分工場」となったとも記載されている。
p51:「第1図旭川地域レンガ工場変遷図」
(明治から大正にかけての旭川地域の煉瓦工場について一覧にまとめられている。)
『北海道開拓記念館研究報告 6号』(回答資料3)
p89~102:「野幌地方のレンガ史」
p89:「明治31年になって、初めて野幌地域にレンガ工場の設立を見た」と記述あり。
p94:「第2表 野幌地域レンガ工場数推移」
(同地域における明治から昭和にかけての煉瓦工場についてまとめられている。)
p89:道内におけるレンガ製造について幕末から明治初期は函館地方で始まり、その後「(明治20年代にかけて)
豊平村、月寒村、白石村など現在の札幌市にレンガ工場が群立」、明治30年以降「野幌地域にレンガ工場の
進出が続出し、同地域が道内レンガ生産の中心となった」と記載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 建築構造 (524 7版)
- 参考資料
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- 1 日本煉瓦史の研究 水野/信太郎?著 法政大学出版局 1999.3 524.24/NI p160-164
- 2 北海道開拓記念館調査報告 第19号 野幌丘陵とその周辺の自然と歴史 北海道開拓記念館 1980.3 069/HO/19 p49-56
- 3 北海道開拓記念館研究報告 第6号 野幌丘陵とその周辺の自然と歴史 北海道開拓記念館∥編 北海道開拓記念館 1981.3 069/HO/6 p89-102
- キーワード
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- 煉瓦
- レンガ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000230383