レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20181206
- 登録日時
- 2019/06/08 00:30
- 更新日時
- 2019/09/25 11:53
- 管理番号
- 0401000471
- 質問
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解決
金栗四三が3度のオリンピックでマラソン代表に選ばれたのはなぜか
- 回答
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『洋泉社MOOK 金栗四三の生涯』(洋泉社)のp.106~「金栗四三の年譜」より。
1度目の出場は1911年(明治44年)11月19日に行われた「オリンピック・ストックホルム大会に向けた国内初の予選会で25マイル・マラソンに出場。当時の世界記録を大きく更新する2時間32分45秒で優勝」し、翌1912年(明治45年)2月15日に「大日本体育協会とJOCにより、短距離で三島弥彦、マラソンで金栗四三が初の日本代表選手として推薦される」とある。
2度目の出場は1920年(大正9年)4月に行われた「オリンピック・アントワープ大会の国内予選で優勝し、二度目の代表に選出される」とある。
3度目の出場は1924年(大正13年)5月に行われた「オリンピック・パリ大会の国内予選で優勝し、三度目の代表選手に選出される」とある。
詳しい予選会の内容は『金栗四三 消えたオリンピック走者』(佐山和夫/著)にストックホルム大会予選はp.44~、アントワープ大会予選はp.166~にそれぞれ書かれている。
以上の資料を紹介して回答とした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 金栗四三の生涯,洋泉社,2018.8 (0119651578|/782.3/カ/)
- 金栗四三,佐山 和夫/著,潮出版社,2017.12 (0141648568|/782.3/サ/)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000257119