レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年10月15日
- 登録日時
- 2017/10/15 15:20
- 更新日時
- 2019/02/23 10:33
- 管理番号
- 20173hr004
- 質問
-
解決
西南戦争の時,現南阿蘇村で戦死した旧会津藩家老,佐川官兵衛(さがわ・かんべえ)の生没年月日・顕彰の理由(碑文)・事蹟・会津から肥後へ来た由来等を知りたい。鬼官兵衛記念館の所在地も教えてほしい。
- 回答
-
1.生没年
『明治の群像2 戊辰戦争』によると、天保2年(1831)9月5日生、明治10年(1877)3月18日没。
2.顕彰碑
『西南戦争・福島県人の奮戦』p104~110に顕彰碑についてまとめられている。
佐川官兵衛本陣址碑
佐川官兵衛殉難之地碑 所在地:熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽(西南の役戦跡公園内)
鬼官兵衛惜哀賦歌碑 所在地:同上
佐川官兵衛討死之地碑 所在地:同上
インターネットで検索したところ、以下の2つが見つかった。
佐川官兵衛顕彰碑 所在地:熊本県阿蘇郡南阿蘇村吉田(明神池名水公園内)http://www.geocities.jp/seinan_eki/kumamoto/myoujinike.html(最終確認:2018.12.24)
西南役佐川官兵衛足跡碑 所在地:同上(白水小学校前) http://www.ne.jp/asahi/goten/masakazu/html/2sisekitansaku1/2-7minamiaso.html(最終確認:2018.12.24)
『熊本日日新聞』平成29年4月3日12面に、倒壊した石碑に代わり、新しい顕彰碑の完成を伝える記事が掲載されている。
碑文の文面がわかる資料は見つからなかった。
3.事蹟、会津から肥後へ来た由来
『明治の群像2』『西南戦争・福島県人の奮戦』にまとめられている。『明治の群像2』は兵庫教育大学・姫路獨協大学に所蔵がある。また、『幕末・会津藩士銘々伝 下 』という資料が姫路市立図書館に所蔵されていて,『福島県人の奮戦』の著者が佐川官兵衛について記事を書いているようである。
4.記念館の所在地
南阿蘇村ホームページhttp://www.vill.minamiaso.lg.jp/(最終確認:2018.12.24)
観光情報→観光インデックス「歴史・文化財」→「美術館一覧」に記載されている。
明神池鬼官兵衛記念館
〒869-1503 熊本県阿蘇郡南阿蘇村吉田1394 TEL:0967-62-9191
- 回答プロセス
-
1.官兵衛は西南戦争で戦死しているので、西南戦争に関する書籍を探す。
2.記念館の場所はインターネットで検索。→熊本日日新聞に記念碑の記事を発見。
3.文章量が多大であるため、詳細については直接資料を閲覧してもらうことにして、質問者の居住地近辺で資料を所蔵している図書館を紹介した。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
-
明治の群像 第2. 三一書房, 1968.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001299179-00 -
長野浩典 著 , 長野, 浩典. ある村の幕末・明治 : 『長野内匠日記』でたどる75年. 弦書房, 2013.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024674010-00 , ISBN 9784863290914 -
塩谷七重郎 著 , 塩谷, 七重郎, 1914-. 西南戦争・福島県人の奮戦. 会津史談会, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002107369-00
-
明治の群像 第2. 三一書房, 1968.
- キーワード
-
- 佐川官兵衛
- 南阿蘇村
- 西南戦争
- サガワカンベエ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000223165