レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年10月18日
- 登録日時
- 2013/03/19 16:29
- 更新日時
- 2018/08/31 17:37
- 管理番号
- 県立K2012-163
- 質問
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解決
「桂浜」の名称の由来や、いつごろからそう呼ばれていたのかが分かる資料はないか。
- 回答
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※ 高知県立図書館・高知市民図書館合築に伴い、資料に関する情報が現在の情報とは異なる場合があります。 ※
『高知県の不思議事典』には「桂濱地名がいつ登場したか資料的にはなお不明確である」(P190~191)とあり、当館に所蔵している資料を色々と参照しましたが、由来や時期を特定しているものは見つかりませんでした。分かるのは大まかなところですが、以下にご紹介させて頂きます。■高知新聞連載記事「土佐地名往来(第23回)」(2003年9月18日)
儒学者の谷秦山が「桂浜秋月」という詩を作っていることもあるので、江戸時代のはじめには既に「桂」の字が当てられていたのではないかとしています。また「桂」の字が使われるようになったのは「月の桂」の伝承に由来するのではないかとしています。
■『高知県の不思議事典』
P190~191「桂浜は勝浦濱の落とし子か?」に「桂の漢字を当てたのは、月の名所として認知された近世以降のことだろう」とあります。
■『角川日本地名大辞典39 高知県』
「浦戸城古図」には「嘉津浦浜」、「南路志」には「勝浦濱」などと表記されていたことや、よさこい古謡にも「月の名所は桂浜」とあることを紹介しています。また宝永5年成立の「土佐物語」巻9に収められている歌の中にも「かつら浜」が出てくることを紹介しています(「土佐物語」を見ると、この歌の作者は不明とされています。一方『土佐国群書類従 第8巻』収録の「土陽誌記」に弘法大師作の、よく似た歌が収録されていますが、仔細なことは不明です)。
■『日本歴史地名大系40 高知県の地名』
「土佐国白湾往来」(「皆山集」収録)に「嘉列浜望月の名所也」という文禄三年(一五四九)の文書が出てくることを紹介しているほか、先述の「土陽誌」(「土陽誌記」の間違い?)の弘法大師の歌についても紹介しています。
- 回答プロセス
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参考図書に当たる。
■『角川日本地名大辞典39 高知県』
長宗我部元親の時代には「嘉津浦浜」など違う字で書かれていたことが「南路志」「長宗我部地検帳」などから分かると書かれている。
■『日本歴史地名大系40 高知県の地名』
「土佐国白湾往来」に「嘉列浜望月の名所也」という文禄三年(一五四九)の文書があると書かれている。一方で、「土陽誌」(「土陽誌記」の間違い? 『土佐国群書類従 第8巻』に収録)に弘法大師の歌の中に「かつら浜」が出てくることも書いているが、この歌に良く似たものが「土佐物語」にも収録されており、こちらは作者不詳とされている。自館OPACで「桂浜」で検索。
■高知新聞連載記事「土佐地名往来(第23回)」(2003年9月18日)
儒学者谷秦山が「桂浜秋月」という詩を作っていることもあるので、江戸時代のはじめには既に「桂」の字が当てられていたとしている。また「桂」の字が使われるようになったのは「月の桂」の伝承に由来するのでは、と説明している。■『高知県の不思議事典』
P190~191「桂浜は勝浦濱の落とし子か?」に「桂の漢字を当てたのは、月の名所として認知された近世以降のことだろうが、桂濱地名がいつ登場したか資料的にはなお不明確である」とある。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『角川日本地名大辞典39 高知県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会編、角川書店、1986年 (K290.3-61 / 1102280334)
- 『日本歴史地名大系40 高知県の地名』下中邦彦編、平凡社、1983年 (K290.3-55 / 1102280250)
- 『高知県の不思議事典』谷是編、新人物往来社、2006年 (K031-3 / 1103992192)
- 高知新聞連載記事「土佐地名往来(第23回)」(2003年9月18日)
- キーワード
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- 桂浜
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000129174