レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年07月15日
- 登録日時
- 2020/07/15 12:40
- 更新日時
- 2020/08/28 13:14
- 管理番号
- 堺-2020-065
- 質問
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解決
裏千家12代目・又玅斎・直叟という人が、堺の中ノ町に住んでいたらしい。現在だとどのあたりになるか知りたい。また、大正6(1917)年に堺中ノ町の隠居所「幽軒」で亡くなったらしいが、その現在の場所が知りたい。跡地等の表示はないのか。
- 回答
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1.『日本の茶家』P109に「堺市中ノ町西三丁目東側に居を構え、幽軒という茶室を建てた」とある。期間は不明。
2.『裏千家今日庵歴代』第12巻P47には、「明治18(1885)年引退、北野天満松向軒、山崎妙喜庵等転々としたのち堺に居住」とある。また、P48に明治37年4月以降に堺に転居したと推測する一文がある。
P56「堺の宿院南宗寺の前西側の寺地町」に移ったとある。
P58 幽軒は堺市中ノ町に建築されたという旨の記載がある。
3.堺市中ノ町西三丁目東側は『堺市實測地圖 明治43年』(文岳堂編輯部/編)で確認することができる。なお、戦後の復興計画で大道筋が50メートルに拡張されたため、堺市中ノ町西三丁目の位置は現在の堺市堺区中ノ町西3丁とは異なっている。戦前から存在する開口神社からの距離を計算したところ、当時の堺市中ノ町西三丁目東側は堺市堺区中之町西2丁にあたると思われる。跡地等の表示については確認できなかった。
(北図書館)
- 回答プロセス
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1.又玅斎については『裏千家今日庵歴代』第12巻で詳しく取り上げられている。又玅斎直叟の読みについて、同書のP.3に「ゆうみょうさいじきそう」とある。
2.『茶道人物辞典』(柏書房)のP.110には「(裏千家12世)嘉永六年(1853)~大正六年(1917)<名>玄室<号>又玅斎・直叟・幽軒」とあり、又玅斎・直叟はいずれも号であることを確認した。
3.回答後に、さかい利晶の杜において「近代の茶の湯ー又玅斎と堺、そして女性ー」と題する企画展が開催され、観覧用ガイドのパンフレットが発行され、関連年譜も掲載されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 茶道 (791 8版)
- 参考資料
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井口海仙 [ほか] 編 , 井口, 海仙. 日本の茶家. 河原書店, 1983.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I003964209-00 , ISBN 4761100680 -
千宗室監修 , 千, 宗室(16世). 又玅斎直叟. 淡交社, 2009. (裏千家今日庵歴代 / 千宗室監修, 第12巻)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I003537677-00 , ISBN 9784473034625 -
文岳堂編輯部/編 , 文岳堂編輯部. 堺市實測地圖 : 1:6000 明治43年. 文岳堂編輯部, 1910-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I084200557-00 -
堺市博物館/編集 , 堺市博物館 , 堺市博物館. 近代の茶の湯 : 又玅斎と堺、そして女性 : 企画展. 堺市博物館, 2017-09.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I084842298-00
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井口海仙 [ほか] 編 , 井口, 海仙. 日本の茶家. 河原書店, 1983.
- キーワード
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- 裏千家
- 堺市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 地名 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000284639