レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/01/20
- 登録日時
- 2013/03/22 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:35
- 管理番号
- M13020311565578
- 質問
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原尾島競馬場が廃止されて三蟠競馬場に移転された理由など、三蟠競馬場について詳しく書かれた資料を知りたい。
- 回答
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①『岡山県畜産史』に昭和戦後後期の競馬の概略が掲載されている。それによると、原尾島競馬場は低湿地であり、昭和9年と20年の2回の水害により、施設が老朽化していたため、移転問題が具体化された。候補地がいくつかあったが、昭和28年9月29日に三蟠競馬場が落成された。その後毎年、県および岡山市で、年数回ずつ開催さていたが、一般の競馬に対する熱意が低下したため、昭和33年7月29日に廃止された、という旨の記述がある。
②『岡山畜産だより』昭和28年9月には、「完成近し 岡山競馬場」と題した記事があり、新競馬場(三蟠競馬場)の施設概要(新競馬場見取図、敷地総面積、収容人数など)、移転の理由について、候補地の選定(岡山練兵場や岡南地区などの候補地が選定されなかった理由)について、建設(請負業者など)について、かなり詳細な記述がある。それによると、三蟠競馬場は、以前は岡山市江並中国配電三蟠発電所アス捨場であったことがわかる。
③『岡山畜産だより』昭和28年11・12月合併号には、「新設三蟠競馬場 会場式盛大に開催」と題して、三蟠競馬場会場式の記事が掲載されている。式の概要のほか、当時の知事である三木行治氏の式辞と、当時の農地経済部長である藤本彦太郎氏の経過報告、当時の岡山県議会議長である蜂谷初四郎氏の祝辞、当時の市長である横山昊太氏の祝辞などが掲載されている。それらによると、三蟠競馬場の総工費は7000万円、第一回県営競馬の状況、移転の理由などについてわかる。
④昭和28年9月30日の山陽新聞には、三蟠競馬場会場式の記事が掲載されている。ただし、記事は③よりも小さい。
※三蟠競馬場が廃止された記事は、昭和33年(廃止された年)の『岡山畜産だより』(第9巻第1号~第11号)には掲載されていない。また、昭和33年7月29日~30日の山陽新聞にも掲載されていない。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 畜産業 (640 9版)
- 参考資料
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①岡山県畜産史編纂委員会編『岡山県畜産史』岡山 岡山県畜産史編纂委員会,1980,1314p.参照はp942.
②花尾生「完成近し 岡山競馬場」『岡山畜産だより』第4巻第9号,岡山県畜産研究会,1953.9,23p.参照はp16.
③「新設三蟠競馬場 会場式盛大に開催」『岡山畜産だより』第4巻第11号,岡山県畜産研究会,1953.11,18p.参照はp8.
④『山陽新聞』昭和28年9月30日朝刊第3面
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①岡山県畜産史編纂委員会編『岡山県畜産史』岡山 岡山県畜産史編纂委員会,1980,1314p.参照はp942.
- キーワード
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- 岡山競馬
- 三蟠競馬場
- 原尾島競馬場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2013020311594765578
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000129301