神体動座とは、『栃木県大百科事典』(栃木県大百科事典刊行会/編 栃木県大百科事典刊行会 1980)によれば、次のとおりです。
「日光山麓の戦い(戊辰戦争)」の項に「…(略)…東照宮附近で戦火が起るのをまぬがれた。(これよりさき東照宮神体が会津めざして動座した)…(略)…」とあります。(p.853-854)
以下の資料に関連の記述を確認しました。
・『日光市史 下巻 近現代・民俗』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)
「第四編 近現代」の「第一章 明治維新と日光の変貌」に記述が確認できました。
p.9-10 「第一節 戊辰戦争と日光」の中に「3 東照宮神体の動座」項があります。上記の『東照宮史』のほか、『日光東照宮記』が引用されています。
p.25-29 「第二節 戊辰戦争をめぐって」の中に「3 東照宮神体の帰還」項があります。
・『東照宮史』(別格官幣社東照宮社務所/編 別格官幣社東照宮社務所 1927)
p.392-395 「第十章 明治大正の沿革」の「戊辰の動乱」に記述が確認できました。
「…(略)…日光山に幕軍占據して官軍と抗争し、人心洶々たるの時に當り、別當大楽院は異變の測るべからざるを見て周章して御神體の遷座を計り、…(略)…自ら御神體を擁護して四月二十六日の早天、大雨を冒して密に日光を脱出し、…(略)…」とあります。
・『大日光 11~15号』(日光東照宮/編 日光東照宮 1958)
※合冊製本
『大日光 第十一號』(日光東照宮/編 日光東照宮 1958)
p.24-36 「東照宮百話抄 東照宮御神体の奥州御動座事件」の項があります。
・『戊辰秘話 日光山麓の戦』(田辺昇吉/著 板橋文化財保護協会 1977)
p.72-75 「風前の灯 日光山」に「東照宮御神体の御動座」の項があります。
・『日光東照宮炎上せず 幕末の動乱』(高橋文雄/著 下野新聞社 1993)
p.56-63 「十一 暗夜の御神体動座」の項があります。
・『下野の戊辰戦争』(大嶽浩良/著 下野新聞社 2004)
p.80-81 「トピックス10 東照宮御神体動座と輪王寺宮」の項があります。
・『明治維新と日光 戊辰戦争そして日光県の誕生』(柴田宜久/著 随想舎 2005)
p.90-91 「第二章 日光の社寺の危機」に「東照宮「御神体」の動座」項があります。
なお、動座後、御神体が東照宮に戻らず、現地に留まったとする説を記した資料も確認しました。
これについては諸説あるようです。
・『家康公と全国の東照宮 泰平と激動の時代を結ぶ東照宮めぐり』(高藤晴俊/著 東京美術 1992)
p.185-186 「八 特殊な東照宮」の「(1)特殊な東照宮」の中に「栗山東照宮」の項があります。
「…(略)…戊辰戦争に際して、日光東照宮の御神体は、難を逃れて会津・山形方面に御動座されている。…(略)…その時の御神体が、日光に戻らずに、栗山村野門の某家に祀られている、と読売新聞が報道(昭和三十三年六月十五日・社会面のトップ記事)したことによって、広く知られることになった。」とあり、その後の調査によって判明した事実を読売新聞は同年六月二十四日に報じたとあります。「現在は、同所に社殿が設けられ、野門東照宮として、昭和四十二年には宗教法人の登記もなされ、地域の人々から崇拝されている。」