レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年02月01日
- 登録日時
- 2006/04/19 21:39
- 更新日時
- 2006/04/19 21:39
- 管理番号
- 市川20060201-02
- 質問
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解決
どうして馬車は牛車に比べ、あまり日本では発達しなかったのか。
- 回答
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交通史、日本史の資料では、膨大な資料で手がかりの予測がつかないため、件名「馬」より検索して調べる。
『馬たちの33章』早坂昇治/著(緑書房)第22章「轍の文化・馬車の謎」に、同じ質問と回答(著者の考察)が記載があり。
なぜ「日本には馬車文化が入ってこなかったのか、なぜ馬車が出現しなかったのか」という疑問に対し、主に以下の理由があげられている。以下、要約
①日本に伝ってきた馬文化は、朝鮮半島経由で伝わった騎馬民族郷土の文化で、ヨーロッパの戦車中心の文化とは違い、騎馬を中心に勢力圏を拡大した文化であったこと。
②日本には野生馬を含めて馬の数が少なく、非常に貴重な動物であった。それゆえに「神馬」というように権力者の象徴となり、これに荷を牽かすという発想は生まれなかった。
③日本は多湿の海洋性気候のため、年間を通じて雨が多く河川も多い。また火山列島のため山地が多く、江戸時代に街道が整備されたとは言え、馬車を自由に走らせるスペースは少なかった、という気候と地形の問題。
④時代が変わっても高価な動物であることに変わりはなく、平民の乗馬は明治まで許されず、牛-公家、馬-武士のものとされていた。また江戸時代には戦略上の理由から、馬や車の使用について厳しい規制があり、馬車の登場する余地はなかった。
このような理由から、比較的早い時代に万が一馬車文化が入ってきたとしても、普及する余地がなかった、と記載されている。
『日本大百科全書18』(小学館)p704「馬車」では、「日本における馬車の出現は幕末になってからで、明治2年(1869)に横浜~東京間の乗合馬車が日本人により開業、1882年には鉄道馬車が開通。しかし馬車の普及と並行するように鉄道が開通し、路線が延び、また電車、自動車の急速な発達などによって、大都市周辺や主要街道を中心として馬車の短い歴史はおわる」と記載があり。
ほかに関連書として以下の参考資料を紹介。
『図説・馬と人の歴史全書』(東洋書林2005) 、『図説・馬の博物誌』(河出書房新社2001)、『図説・馬と人の文化史』(原書房1997)第11章:農業、輸送、探検と戦争におけるウマ科動物、の項で、世界における公共輸送のための馬車の使用は1564年からと記載。
『乗り物はじまり物語』(東洋経済新報社1986)「馬車と牛車、速いの強いのどっち?」の項目で人と牛馬の関わりについて触れられている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 陸運.道路運輸 (685 8版)
- 参考資料
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- 『馬たちの33章』早坂昇治/著(緑書房 1996)
- 『図説・馬と人の文化史』(原書房1997)
- 『図説・馬と人の歴史全書』(東洋書林2005)
- 『乗り物はじまり物語』(東洋経済新報社1986)
- キーワード
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- 馬車
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000028343