レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020.06.27
- 登録日時
- 2021/02/28 00:30
- 更新日時
- 2021/02/28 14:31
- 管理番号
- 2020.01.006
- 質問
-
解決
「武蔵野国」はいつまで使われていたのか。明治2年にはまだ使われていたか。
- 回答
-
①『日本歴史地名事典』(新人物往来社,1993)p418の「武蔵野国」の項に、「埼玉県・東京都と神奈川県の一部を占めていた東海道の一国。…明治四年(一八七一年)に東京府・埼玉県と神奈川県の一部に分割された」とある。②『角川日本地名大辞典13東京都』(角川書店,1978)p697-698
③『国史大辞典13』(吉川弘文館,1992)にも同様の記述がある。④『角川日本史辞典 新版』(角川書店,1997)p311の「国」の項目には、「…中・近世においても国は地方支配の単位として一定の機能を果たしたが、1871年(明治4)の廃藩置県に至ってその実質を失った。」とある。
①~③を合わせて考えるに、「国」は中世以降は行政区分というよりは地方区分としての名称であったが、廃藩置県を機に分割され、その機能を失っていったと考えられる。よって明治2年にはまだ使われていたと思われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291)
- 参考資料
- キーワード
-
- 地名
- 国
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000294253