レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20210102
- 登録日時
- 2021/04/01 00:30
- 更新日時
- 2021/04/16 13:35
- 管理番号
- 0000201594
- 質問
-
解決
江戸時代の佐賀の「七浦」とは、今のどのあたりまでをさすのかを知りたい。
- 回答
-
次の資料に記載がありました。
(1)『ふるさと七浦誌』 七浦学校同窓会 1992
p.51-52 「~西葉浦より竜宿浦(矢ノ浦)迄を七浦と江戸時代は言っていた。明治四年には嘉瀬浦村、龍宿浦村は飯田村へ入り、明治十一年には嘉瀬浦村が音成村へもどった。明治十八年の段階では大きく音成村・飯田村の二村となり、明治二十二年の市町村制施行により七浦村となり、昭和二十八年の町村合併推進法公布時も七浦村は残り、更に、昭和二十九年に鹿島市が成立し、昭和三十年三月一日に伊福村を除いて七浦村が鹿島市に編入されるまで、七浦村は続くのである。しかし、伊福村は太良町へ併合された。そして、音成・飯田は大字として今日まで残った。」
※p. 52に行政区画・変遷石高一覧あり
(2)『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』 角川書店 1982
p.515
・七浦郷<鹿島市>
江戸期の郷名。藤津郡のうち。~当郷に属する村は西葉浦、母ヶ浦、西塩屋浦、東塩屋浦、宮田尾浦(小村は大宮田尾)、小宮田尾、音成浦(小村は音成小浦、音成本浦)、嘉瀬浦、竜宿浦(小村は竜宿本浦、竜宿小浦)。鹿島市の南東部、有明海に面した漁村地帯。
(3)『佐賀県の地名 日本歴史地名大系 42 佐賀』 平凡社 1980
p.548-549 鹿島市の行政区画変遷・石高・戸口一覧の記載あり
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210)
- 日本 (291)
- 参考資料
-
-
(1)ふるさと七浦誌. 七浦学校同窓会, 1992.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070996040-00 -
(2)「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 , 角川日本地名大辞典編纂委員会. 角川日本地名大辞典 41. 角川書店, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005706132-00 -
(3)日本歴史地名大系 42. 平凡社, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I015655041-00
-
(1)ふるさと七浦誌. 七浦学校同窓会, 1992.
- キーワード
-
- 中村貞右衛門
- 七浦
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000296057