レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年05月25日
- 登録日時
- 2010/10/30 12:08
- 更新日時
- 2010/11/14 13:13
- 管理番号
- 9000006446
- 質問
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解決
武田信玄が臨終の時に自分の死を3年間伏せるように言ったという逸話の出典を知りたい。
- 回答
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武田信玄の遺言は『甲陽軍鑑』巻十三(三十九品)にある。信玄は死を前にして、自分が存命であれば甲斐を侵攻しようとする国はないだろうから、3年間は自分の死を隠して国の安全を守るように、葬儀は無用で、遺体は3年後に諏訪湖に沈めるようになどと遺言した。詳細については照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.『武田信玄大事典』(柴辻俊六編 新人物往来社 2000年)で「遺言」の項を見ると、「『甲陽軍鑑』が詳しくその内容を記している」とあり、遺言の概要の記述がある。
2.『甲陽軍鑑大成』第3巻索引篇(酒井憲二編著 汲古書院 1994年)で「ゆいげん(遺言)」を検索し該当箇所を見ると、『甲陽軍鑑大成』第2巻本文篇(酒井憲二編著 汲古書院 1994年)p101上「…信玄公御他界柀成候ヘ共、三年かくし候て…」という文はあるが遺言書の掲載はない。
3.更に同索引で「家督」を検索し該当箇所を見ると、『甲陽軍鑑大成』第1巻本文篇(酒井憲二編著 汲古書院 1994年)のp446から死去の際の様子と遺言の記載がある。p449に死を3年間伏せるようにという当該の記述がある。
4.『甲陽軍鑑』の現代語訳の図書で該当部分を確認すると、『甲陽軍鑑(原本現代訳)』(腰原哲朗解説・訳 教育社 1980年)p324に「信玄公逝去につき御遺言」の項がありp326から当該の記述がある。また、『甲陽軍鑑(原本現代語新訳)』2巻(腰原哲朗現代語新訳・解説 ニュートンプレス 2003年)にもp295から遺言の記述がある。その他現代語訳はいくつかある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『甲陽軍鑑大成』第1巻本文篇(酒井憲二編著 汲古書院 1994年) (p449)
- 『甲陽軍鑑(史料叢書)』中巻(磯貝正義校注 新人物往来社 1976年) (p355,358)
- 『武田信玄大事典』(柴辻俊六編 新人物往来社 2000年) (p18)
- 『甲陽軍鑑大成』第2巻 本文篇(酒井憲二編著 汲古書院 1994年) (p101)
- 『甲陽軍鑑:原本現代訳』(腰原哲朗解説・訳 教育社 1980年) (p326)
- 『甲陽軍鑑:原本現代語新訳』第2巻 指揮(腰原哲朗現代語新訳・解説 ニュートンプレス 2003年) (p297)
- 『甲陽軍鑑:原本現代訳(教育社新書)』中巻 はためく風林火山(腰原哲朗訳 教育社 1979年) (p340)
- キーワード
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- 武田信玄
- 戦国武将
- 遺訓
- 逸話
- 遺言
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- ・『甲斐志料集成』第5巻 歴史篇 2(甲斐志料集成刊行会編 歴史図書社 1981年)を確認すると、収載の「武田三代軍記」にも該当の記述がある(p337-338)が、「武田三代軍記」は「甲陽軍鑑」より新しいものである。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土(武田氏・武田信玄・武田家臣)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000073055