レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/08/22
- 登録日時
- 2006/12/02 02:11
- 更新日時
- 2008/05/11 13:38
- 管理番号
- 埼熊-2006-047
- 質問
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未解決
北川辺町出身の日本解剖学の父、田口和美博士が明治2年頃に医学のために上京したというが、出発した河岸は、北川辺のどこかを知りたい。おそらく利根川を通ったと思われる。
- 回答
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田口が上京に際してどのような交通手段を用いたかを確認できる資料は見つからなかった。
- 回答プロセス
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田口博士は、文久2年に郷里にほど近い下野国佐野で医院を開業したが、明治2年には同医院を閉じ、医学研究のため妻子を実家に預けて単身上京した。
田口和美関連資料、北川辺関連資料を探索した。
田口氏は、14歳の時(嘉永6年)に医師としての学問を学ぶために江戸に向かっている。その際の交通手段については、船便で出府したとする記述が下記資料に見られる。
『わが国 解剖学の父 田口和美博士』『北川辺史の研究 1』
その他の調査済み資料は次のとおり。
『埼玉人物事典』『埼玉人物小百科』『埼玉県人物誌』『利根川流路の変遷』
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 基礎医学 (491 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 田口 和美(タグチ カズヨシ)
- 解剖学
- 北川辺(キタカワベ)町-埼玉県
- 伝記
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000031792