レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年12月03日
- 登録日時
- 2011/01/20 11:56
- 更新日時
- 2011/01/20 11:57
- 管理番号
- 9000006959
- 質問
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解決
徳川家康(竹千代)が今川義元の人質となっていた頃の遊び相手に女の子はいたか。
- 回答
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遊び相手や小姓(こしょう)とされる人物に、女子の名前は見あたらない。
- 回答プロセス
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1.『世界伝記大事典』日本・朝鮮・中国編 第4巻(ほるぷ出版 1978年)、『日本人名大事典』第4巻(平凡社 1979年)、『国史大辞典』第10巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1989年)、『日本史大事典』第5巻(平凡社 1993年)など、事典類には関連の記述はみあたらない。
2.徳川家康の伝記などを確認
・『徳川家康おもしろものしり雑学事典』(樋口清之編 講談社 1982年)p22-23に「竹馬の友はだれか?」の項があり、「…譜代の家臣のほかに遊び相手をお供に加えることにした」とあり、遊び相手に選ばれた5人の名が記されている。遊び相手は次の通り。天野又五郎(康景)※5歳年上、石川与七郎(数正)※1歳年上、阿部徳千代(正勝)、平岩七之助(親吉)※同年齢でもっとも仲が良かった、松平与一郎 ※1歳年下。
・『家康伝』(中村孝也著 国書刊行会 1988年)の第1章「少年時代」第3項「駿府の生活」には、当時8歳の竹千代が駿府に向かい際の随行について、「随行した家臣の氏名は諸書の異同多く、七人小姓とか七人衆とかいう呼称があるけれど、結局明確に知ることはできない」とあり、次の9名の名が記されている。酒井政親(27歳)、内藤正次(20歳)、安部重吉(19歳)、天野康景(13歳)、野々山元政(12歳)、阿部元次(9歳)、平岩親吉(8歳)、榊原忠政(8歳)、石川数正(年未詳)。このうち20歳以上の二人(酒井政親、内藤正次)が年長者として護衛の役に任じ、その他の七名が小姓であったのだろうかなどとある。
・「歴史読本」昭和57年12月号(新人物往来社 1982年12月)収載の「少年家康は売られたのか」(神坂次郎著)には「六歳の竹千代に従うもの松平与市忠正、石川与七郎数正、平岩七之助親吉、同助右衛門親長、天野又五郎康景、同三之助、それに遊び相手になる阿部徳千代正勝ら二十八人。雑兵五十余人」と記述がある。
3.徳川家の歴史に関する史料を確認
・『三河物語:三河徳川家の歴史(教育社新書)』上巻(大久保彦左衛門著 教育社 1980年)の「若き日の家康」の部分には関連の記述は見あたらない。
・『国史大系』第38巻 徳川実紀(黒板勝美編輯 吉川弘文館 1964年)の「東照宮御実紀巻一 天文十四年-天文十六年」には、駿州に向かう際に付いたのは「石川与七郎数正。天野三之助康景。上田万五郎元次入道慶宗。金田与三右衛門正房。松平与市忠正。平岩七之助親吉。榊原平七郎忠正。江原孫三郎利全等すべて廿八人。雑兵五十余人。阿部甚五郎正宣が子徳千代(伊予守正勝なり)六歳なりしをあそびの友として。御輿に同じくのせてつかはさる」と記述がある。
・「駿府記」「慶長年中卜斎記」には、家康の幼少期については書かれていない。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 徳川家康
- 伝記
- 小姓
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 伝記・人物
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000076948