レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/07/01
- 登録日時
- 2012/11/07 02:05
- 更新日時
- 2012/11/07 02:05
- 管理番号
- 滋2012-0021
- 質問
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解決
琵琶湖の総合開発計画が進むなかで、昭和30年代に琵琶湖中にダムを建設しようとする計画があったそうだが、この計画が出された時期や設置予定場所、ダムの規模を知りたい。また、その図面があれば見たい。
- 回答
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琵琶湖中にダムを建設しょうとする案は2回出されています。『滋賀県百科事典』によりますと、「60年(昭和35)8月琵琶湖総合開発協議会が「堅田守山締切り案」を発表、(中略)65年(昭和40)11月建設省が「湖中ダム案」を発表」とあります。しかし、『琵琶湖を考えよう』では、堅田守山締切り案が出された時期は昭和35年9月12日大津市の琵琶湖ホテルで開催された第4回協議会の席上で、「堅田-守山間に堤長一・五キロ、高さ二十四メ-トル(地中十五メ-トル、水中九メ-トル)幅十二メ-トルのセルラ-コッファ-型(井筒型)のコンクリ-トえん堤」を建設しようとするものであったとあります。また、「建設省の湖中ダム案が登場したのは三十九年九月二日。東京で開かれた県と建設省の懇談会で内示された。(中略)ちょうど同じ地点-琵琶湖大橋より約五百メ-トル北の地点に、びわ湖を締め切る水中もぐりぜきを建設する。せきの長さは一・五キロ、せきの高さはびわ湖の水位マイナス一・四キロで、水の多い時には、外からみえない。」とあります。「堅田守山締切り案」の図面は『琵琶湖を考えよう』、『淡海よ永遠に 第1・2編 総論・計画編』、『びわ湖水政問題について』に、「湖中ダム案」の図面は『琵琶湖を考えよう』に、それぞれ掲載されています。なお、滋賀県立大学人間文化学科が発行している『人間文化 第4号』に、大橋松行「琵琶湖水資源開発構想の一断面-堅田締切り案を中心に-」という論文が掲載されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 産業政策.行政.総合開発 (601 8版)
- 参考資料
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- 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.631
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2 琵琶湖を考えよう 滋賀日日新聞社∥編 滋賀日日新聞社 1968年 S-5180- 68 p.210-213 -
3 淡海よ永遠に 第1・2編 総論・計画編 近畿地方建設局琵琶湖工事事務所∥編集 水資源開発公団琵琶湖開発事業建設部∥編集 近畿地方建設局琵琶湖工事事務所 1993年 S-6080-1 p.199,201-202,459 -
4 人間文化 滋賀県立大学人間文化学部研究報告 通巻9号 彦根 滋賀県立大学人間文化学部 P 第4号p.38-45
- キーワード
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- 琵琶湖総合開発
- 堅田守山締切り案
- 湖中ダム案
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000113787