レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年8月14日
- 登録日時
- 2020/12/25 13:34
- 更新日時
- 2021/02/25 10:43
- 管理番号
- 県立長野-20-078
- 質問
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未解決
山ノ内町戸狩の下田姓について、来歴などわかるものはないか。
- 回答
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『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20長野県』 角川書店 1996 【N288/158】 p.805 に、
「下高井郡山ノ内町戸狩の下田勝利家は、家伝によれば、戦国期に上州(群馬県)箕輪城から逃れて戸狩に土着したという。初代正隆は慶長年間に名主を務めた。分家に三代忠兵衛の子中左衛門・定右衛門の系がある。同族の大工棟梁の万蔵は、大正期から昭和初期にかけて名棟梁とうたわれ、地域の学校・役場・神社の大建築を手掛けた。中野市竹原の下田氏も同族。家紋は丸に木瓜。なお、戸狩には上田姓へ改姓した同族がある。」
とあるが、ここでいう「家伝」の所在についての記載は確認できなかった。なお、この資料は、利用者の居住地の公共図書館所蔵している旨、案内する。
現在の山ノ内町戸狩は、江戸期以前は戸狩村、明治に入り周辺と合併し、穂波村となり、山ノ内町となっている。山ノ内町の中でも南部で、中野市と隣接する地域にあたる。『穂波温泉区誌』 穂波温泉区誌編集委員会穂波温泉区誌編集局 穂波温泉区誌刊行委員会 1991 【N213/68】、『竹原区史』 竹原区市刊行会 1972 【N213/86】をはじめとする関係市町村の史誌類を調査したが、下田氏について触れた記述は確認できなかった。
- 回答プロセス
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1 『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20長野県』で、「下田」を見ていくと、山ノ内町の下田氏についての記述を発見。
2 文中の家伝にあたるものを、凡例、註などを見ていくが、文書名、所在を確認できない。
3 『山ノ内町誌』などの誌史類を見ていく。下田市の来歴についての記述は確認できない。
<調査資料>
・『中野市誌 歴史編 前編』 中野市誌編纂委員会編 中野市 1981 【N213/59/2】
・『山ノ内町誌』 山ノ内町誌刊行会編 山ノ内町 1973 【N213/40】
・『長野県下高井郡誌』 下高井郡役所編刊 千秋社 1999 (長野県下高井郡役所 大正11年刊の復刻版)【N/213/85】
・『佐野の歴史』 佐野の歴史編集委員会編 佐野の歴史刊行会 1979 【N213/53】
・『むらの歴史』 金井明夫著 むらの歴史刊行会 1983 【N213/62】
・『郷土古文書目録』 下高井教育会編・刊 1957 【N213/17】
・『地域を築いた人びと』 田川光雄著 中野・山ノ内人物風土記刊行会 1986 【N283/5】
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
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長野県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会編著 , 長野県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会. 長野県姓氏歴史人物大辞典. 角川書店, 1996. (角川日本姓氏歴史人物大辞典 / 竹内理三 [ほか] 編, 20)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I010652948-00 , ISBN 4040022009 (【N288/158】 p.805)
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長野県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会編著 , 長野県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会. 長野県姓氏歴史人物大辞典. 角川書店, 1996. (角川日本姓氏歴史人物大辞典 / 竹内理三 [ほか] 編, 20)
- キーワード
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- 下田姓
- 山ノ内町
- 先祖
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000291492