レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/02/28
- 登録日時
- 2019/03/07 00:30
- 更新日時
- 2019/04/06 00:30
- 管理番号
- 6001036914
- 質問
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解決
与謝野鉄幹が泊まった平井旅館の場所を探している。
北浜界隈ということだけしかわからず、詳しい町名も手がかりも不明である。
明治30年代には旅館が存在していたことがわかっている。
- 回答
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『大阪文学散歩 カラーブックス』(大谷晃一/著 保育社 1981)
p.117に「翌[明治]33年夏、晶子は東区北浜三丁目10の平井旅館で、与謝野鉄幹と会う」との記述があり、p.141の「大阪文学散歩地図」では、平井旅館の位置がプロットされている。
p.19にも「適塾の筋向かいの西角に、彼女が鉄幹と運命の出会いをした平井旅館があった」という記述がある。
入江春行「情熱と浪曼に生きた与謝野晶子」『大阪春秋』<8>(大阪春秋社 1975)p.72-75
晶子が鉄幹と会った場所として、「北浜三丁目の平井旅館である」との記述がある(p.73)。
『大阪春秋』<3>(大阪春秋社 1975)
「特集 北浜のすべて」の「明治中期の北浜大川筋」の記事(p.85-86)に明治中期の北浜界隈の宿屋が記載されており、北浜三丁目に「炭屋 平井政七」の記述があるが番地等は記載されていない(p.85)。
『大阪地籍地図 土地台帳 東区』(大阪地籍地図 [3-1] 吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 大阪府立中之島図書館 [1993])
明治44年刊の地図の複製資料で、北浜三丁目の平井姓を探すと1件「平井政七」があるが、地図で確認すると、示された地番は川沿いの区画となっており、「適塾の斜め向かい」の条件と合わない。
『電話番号簿 明治三十六年三月一日改』(大阪商業大学商業史博物館/編集 大阪商業大学商業史博物館 2012.3)
旅人宿として、「平井政七」の番地「東区北浜三丁目一〇」が出ている。(p.204)
この番地を先の『大阪地籍地図』で確認すると、適塾の近くという条件に合致した。
その他、以下の資料に平井旅館の記載があるが、所在地についての詳しい情報は見当たらなかった。
『大阪の寺: 近代こぼれ話』(荒木伝/著 東方出版 1992.7)
p.7に「ちょうど適塾の斜め向かいにその旅館はあった」の記載がある。
『大阪北船場スタイル』<1>(枻出版社 2006.10)
「特集北浜・淀屋橋・本町・中之島」p.117に「北浜の平井旅館で与謝野鉄幹と出会い」とある。
『評伝与謝野寛晶子 明治篇』(逸見久美/著 八木書店 2007.8)
p.171、175に「北浜の平井旅館」に鉄幹が明治33年8月、11月に宿泊したことが記載されているが、平井旅館の所在地については「北浜」「大阪」以外の情報はない。
この資料は明治篇・大正篇・昭和篇の3部作で、昭和篇巻末の3巻全体の索引に「平井旅館」の項があり、上記ページが掲載されている。
『百年の大阪 第3巻 明治時代』(大阪読売新聞社/編 浪速社 1967)
p.120-124「恋歌」に平井旅館で鉄幹と晶子が初めて会ったときの様子が描写されているが、旅館の場所については「東区北浜」とある(p.120)。
〔事例作成日:2019年2月28日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 参考資料
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- 大阪文学散歩 大谷/晃一∥著 保育社 1981
- 大阪春秋 新風書房 新風書房 3(1-4)<5-8>
- 大阪地籍地図 [3-1] 吉江集画堂地籍地図編輯部∥編纂 大阪府立中之島図書館 [1993]
- 電話番号簿 大阪商業大学商業史博物館∥編集 大阪商業大学商業史博物館 2012.3
- 大阪春秋 新風書房 新風書房 1(1),2(1-3)<1-4>
- 大阪の寺 荒木/伝∥著 東方出版 1992.7
- 大阪北船場スタイル No.01 枻出版社 2006.10
- 評伝与謝野寛晶子 明治篇 新版 逸見/久美∥著 八木書店 2007.8
- 百年の大阪 第3巻 大阪読売新聞社∥編 浪速社 1967
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000252696