レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/06/13
- 登録日時
- 2014/07/02 00:30
- 更新日時
- 2014/07/06 09:27
- 管理番号
- 6000016922
- 質問
-
未解決
立命館大学宮脇研究室作成の「松山捕虜収容所収容の捕虜将校データベース」によると、ロシア軍少将ガネンフェルド(ガネンフェリド、ガネンフェリト)は明治38年(1905年)4月9日に松山の捕虜収容所に到着している。そのとき乗せられていた船の名前が「第二扇海丸」というらしいが、その写真はないか。
- 回答
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写真は見つけられなかった。同時期に活躍していた、浦賀船渠が新造した「第二扇海丸」と同型のフィリピン砲艦「ロンブロン号」を横から見たイラストを参考にご紹介した。
- 回答プロセス
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造船関係の書架にある資料を確認したが見つけられなかった。
そこで国立国会図書館サーチで「扇海丸」と検索すると、『漁船建造必携』(昭和8年版)に冷蔵運搬船「第一扇海丸」の写真(白黒)を見つけた。しかし本文によると昭和7年起工進水の船という記述があり、本質問の第二扇海丸との関係性の薄いことが判明した。(少なくとも同型船ではなさそうと判断)
ほかにMAINICHI PhotoBankなどオンライン写真データベースを対象に検索してみたがヒットするものがなかった。
そこで旧日本軍関係の事柄でもあるので、国立公文書館のアジア歴史資料センターの収録データを対象に検索してみた。すると「扇海丸」で複数データがヒットし、第一から第三扇海丸(マニラ砲艦甲乙丙)が浦賀船渠株式会社から陸軍省に引渡された旨の記述が見つかった。(浦賀船渠会社所有馬尼刺砲艦買収の件)
明治37年(1904年)の記事だったので、捕虜輸送の時期と重なっており、浦賀船渠の社史『浦賀船渠六十年史』を大阪府立図書館より借用した。
それによると、フィリピンから受注した砲艦5隻のうちのひとつセビュー号が第二扇海丸で(p583艦種別建造艦艇一覧表)、建造途中で契約が解除され、陸軍省に引取られたことが分かった。口絵には5隻のうちの一番艦ロンブロン号を横から見たスケッチが収録されていた。表や記述から5隻は同型艦だったと推測される。
- 事前調査事項
- NDC
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- 海洋工学.船舶工学 (550)
- 参考資料
- キーワード
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- 船舶
- 扇海丸(センカイマル)
- 日露戦争
- 歴史
- 明治
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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『浦賀船渠六十年史』p114
フィリピン、マニラ政府と幾度か交渉を重ね、建造砲艦五隻の契約履行を求めたが、最初の二船を承諾しただけで、第三船ボホール以下は解約された。このため政府の援助を求め、三十七年上期に至り、残り三隻全部を陸軍省に売却した。この三隻は、のちに第一第二第三の各扇海丸と改名され、税関看視船として活躍した。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000155378