昭和初期刊行で「へいたん」というヨミの雑誌は確認できなかった。ただし、明治時代であれば、明治38年9月から39年4月にかけて刊行された美術雑誌『平旦』がある。
※「タン」の字遣いは資料によって違う。以下の表記はいずれも原文ママ。
(1)[都立DB]、[NDL-OPAC]、[Webcat-Plus]をタイトル<へいたん>で検索してみるが該当するような資料はない。<平旦>では[都立DB]で資料3のみヒットする。
(2)当館で所蔵している『出版年鑑』のうち、昭和4年から昭和8年までの「雑誌総目録」「特殊雑誌目録」部分を通覧するが、「平旦」「平坦」「平垣」「兵站」「兵端」「平淡」など、<へいたん>と読むようなタイトルは見つからない。
(3)雑誌解題の基本資料である資料1を見る。「第1章 逐次刊行物-新聞を除く 1.ダイレクトリー・目録 1.1日本」に掲載されている資料を参考に、収録年代に昭和初期が含まれており、当館に所蔵のあるものを調べたところ、資料2に『平旦』の項目があった。美術文学雑誌、明治38年9月から39年4月、全5冊、編集責任者川上邦基などと書かれている。下記資料も調査したが、<へいたん>と読むような雑誌名は見当たらなかった。
『近代文学雑誌事典』 『日本経済学雑誌総覧』 『明治・大正・昭和(戦前)教育関係雑誌総覧稿』
(4)資料3のp.513-523「『平旦』目録」に、解説と1号~5号の総目次が掲載されている。解説を読むと、資料2で判明した『平旦』のことであるとわかる。
(5)美術関係の資料4にも『平旦』第1号~3号、5号の目次が収載されている。
(6)資料5は、『日本古書通信』に連載された「雑誌新聞解題の案内」全139回分を編集復刻したもので、個々の雑誌と新聞について、今までに書かれた解説や評論の所在を示すもの。巻末の「収録誌紙名一覧」で「へ」のところを見ると、「平坦」のみあり。p.247を見ると、創刊年や内容分類、編者などは、資料2で判明した美術雑誌『平旦』と同一である。この「平坦」について書かれた文献として以下2種類の記述がある。
平垣 <日本雑誌興亡史考> 斎藤昌三(書物展望 昭和七9 第二巻九号 p187)
同上 (書国巡礼記 斎藤著 書物展望社 昭和八12 p55-56)
当館で所蔵している資料6を確認すると、p.10-93「日本雑誌興亡史考」末尾に(「書物展望」昭和七年八月より八年十号まで)とあり、p.55-56に『平旦』の解題がある。明治38年9月創刊とあり、「美術雑誌ではあったが評論もあれば小説もあり紀行文もあるといふ」「初め2回許りは奥附けもなかったが、後には編輯人川上邦基となっていた。」などと書かれている。