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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000262184
提供館
(Library)
秋田県立図書館 (2110003)管理番号
(Control number)
秋田-2341
事例作成日
(Creation date)
2019年09月12日登録日時
(Registration date)
2019年10月02日 00時30分更新日時
(Last update)
2019年10月11日 17時29分
質問
(Question)
姓氏家系辞典などにある、福島市荒川を出自とする荒川氏の家系について詳しい図書にどのような物があるか。
また江戸時代の前期頃、会津若松に居住していた荒川家について分かる資料はあるか。
回答
(Answer)
荒川氏についての資料確認できず。
回答プロセス
(Answering process)
NDC分類288(系譜)の棚をブラウジング。
以下の資料を調査。
①『姓氏家系歴史伝説大事典』(志村有弘/編、勉誠出版、2003.7、R288.1/ベセ/)資料番号:124321852
→p.71に磐城の荒川氏について記載あり。③桓武平氏磐城氏流は磐城国磐城郡荒川郷より発祥。磐城氏の一族。『磐城系図』に「直衡(荒川四郎)」と記載あり。

五城目町に関連ある人物という情報より、五城目町に関連する資料を調査。
×②『五城目町史』(五城目町史編纂委員会/編、五城目町、1975.3、214.4/ゴゴ/郷)資料番号:124129586
→記載なし。

荒川氏が会津若松市に住んでいたとのことから、会津若松市史を調査。
×③『会津若松市史、3』(会津若松市、2004.3、212.6/アア/3)資料番号:129012548
→記載なし。

資料所蔵検索にてキーワード「福島」「姓氏」で全項目検索。
以下の資料を確認。
×④『奥州街道苗字の旅、松前から江戸日本橋まで』(鈴木常夫/著、本の森、2002.2、288.1/スオ/)資料番号:121849814
→記載なし。

資料所蔵検索にてキーワード「佐竹」「系図」で全項目検索。
以下の資料を確認。
×⑤『新編佐竹氏系図』(原武男/編、加賀谷書店、1973.07、288.2/ハシ/郷)資料番号:124128778
→記載なし。

×⑥『新編佐竹氏一門・系図<稿>、苗字家を除く』(渡邉喜一/編著、東洋書院、2004.10、288/ワサ/郷)資料番号:124335795
→記載なし。

⑦『新編 佐竹七家系図』(渡辺喜一/編、加賀谷書店、1993.02、288.2/ワシ/)【郷土資料】資料番号:124030479
→佐竹氏・西家(小場氏系譜)内 p.250 宣忠「実 荒川筑後守秀景二子<渋江政光の弟>義宗養て、壻とし隠居遺領を譲る。」五城目の記載はないが、「寛永七年五月二十日に江戸在番交替、秋田に下る」とある。

その他、以下の資料を確認。
⑧『秋田人名大事典』(秋田魁新報社/編集、秋田魁新報社、2000.7、280/アア/郷)資料番号:124250713
→⑦において、「渋江」という人物を確認したため、渋江氏の項目を確認。
p.299-p.300 「渋江光久(慶長6年~寛文4年7月9日)秋田藩家老。政光の長子で、初め荒川氏を継いで完十郎光康。「鷹の爪」(新秋田叢書第3巻内にあり。⑨に詳細を記載。)によれば、宣光の末弟で荒川惣四郎といったという。寛永四年十月、渋江宣光が京都で没したので同年の十二月五日に復姓して宣光の嗣子となった。このとき名を光久と改め、内膳、宇右衛門と称している。渋江家は、桓武平氏で野与六郎基永の孫、渋江四郎経遠を祖とする。代々、下野小山氏の老臣であったが、氏光の代に佐竹家に仕えた。(中略)光久の妻は、佐竹義賢(東家)の娘であったが、子がなく、湯沢の佐竹義章の二男、左近(隆光)を養子に迎えた。光久は、逝去する前に嗣子の隆光に遺言して、荒川家の再興を命じた。すなわち、石塚義里渋江家は、桓武平氏で野与六郎基永の孫、渋江四郎経遠を祖とする。(中略)光久の妻は、佐竹義賢(東家)の娘であったが、子がなく、湯沢の佐竹義章の二男、左近(隆光)を養子に迎えた。光久は、逝去する前に嗣子の隆光に遺言して、荒川家の再興を命じた。すなわち、石塚義里の三子、秀友を養子に迎えて荒川氏を継がせ四百石を分与したという。」との記載あり。しかし、①の荒川氏との関連の有無は確認できず。

⑨『新秋田叢書 第3巻』(今村義孝/監修、歴史図書社、1971.8、081.7/イシ/3)資料番号:111327680
→p.555-p.556 鷹の爪 渋江敬之助 文章内に⑧の渋江光久についての記載あり。「先祖澁江兵部大輔氏光入道竿齋は野州小山家の族臣にて、天正十三年小山氏滅亡の時流落て常州へ來り御當家へ奉仕。其頃荒川筑後守秀景も同落魄て、其嫡子彌五郎常州へ來り人見主膳正藤近か家へ寄食す。(中略)其子彌五郎宣光天英公御下字被下、御家の子に列せられ廻座と成る、後内膳と改む。無嗣して早死、故に末弟荒川惣四郎を嗣とせられ内膳光康と號す、刈和野給人如元被令指揮。天英公御時御家老とせられ、光久と改む、是を中内膳と呼。(以下略)」
事前調査事項
(Preliminary research)
その荒川氏は主君の家が没落したのに伴い、会津を離れ、秋田の五城目に移り住んだという話を聞いた。
NDC
歴史  (2)
参考資料
(Reference materials)
姓氏家系歴史伝説大事典志村 有弘/編勉誠出版 (p.71)
キーワード
(Keywords)
荒川氏(アラカワシ)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
所蔵・所在調査
内容種別
(Type of subject)
一般,郷土
質問者区分
(Category of questioner)
一般
登録番号
(Registration number)
1000262184解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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