レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年7月21日
- 登録日時
- 2005/08/25 16:24
- 更新日時
- 2009/08/26 18:34
- 管理番号
- 2005-0026
- 質問
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解決
大正11(1922)年、群馬県の上毛新聞と、秋田県の秋田魁新報で、同日に同じ紙面があった。
この時期に、通信社が、記事と広告をセットにした1面分を、数社の新聞社に提供した例は、他にもあるのか。
- 回答
-
大正10年代の、異なる地方紙の同一紙面の例は、ほかに見当たらなかった。
ただ、明治30年代前半から、当時の通信社は、新聞広告の取次ぎも兼業しているため、
ありえない話ではない。
- 回答プロセス
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下記当館所蔵資料に参考となる資料を確認した。(2009.8月現在)
●請求記号:R960-DEN-120
『電通通信史』(電通通信史刊行会 発行、1976)
→p.18-20
通信社の通信と広告の兼営は、地方紙からみると、ニュースの配信を受けると同時に、広告が手に入る便宜があり、
通信社からすると、通信料と広告料を相殺できるから、通信料の取りはぐれがなくなるという特徴がある。
この方法は当時としては珍しいことではなかった。すでに明治二十三年一月に設立された 「新聞用達会社」が実施した
もので、明治三十年代前半の通信社は、新聞広告の取り次ぎを 兼業していたという。(以下略)
これは、広告会社の電通の前身、日本電報通信社が、成功した要因について述べられている箇所であり、
この箇所より、記事+広告のセット販売が行われていた事実が うかがえる。 ただし、同一紙面を、
数社に同時販売したかどうかについては、不明。
●請求記号:R311-SAT
『ニュース・エージェンシー』(里見脩 著、中央公論新社 発行、2000)
→p.12-13 日本電報通信社時代の、通信業と広告業の一体化の話が取り上げられている。
また新聞社とくに地方紙にとって、東京の通信は欲しいが通信料の支払いが難しい場合、 電通に依頼すれば
東京の広告を入れてもらい、その収入で通信料を相殺することができるので、電通と契約新聞社双方にとって
歓迎すべきアイデアなのである。
と、地方紙へのメリットについて触れられていた。 しかし、同一紙面を、数社に同時販売されていたのかは、不明。
以上の2点の資料を提示。 通信と広告をセットとして販売していた、という点までしか確認できず。
明確な他の事例は不明。
※この同一紙面の話について、群馬県立女子大学公式サイトより「群馬学ことはじめ」というコーナーの中に
「群馬と秋田で同じ紙面 (市川祥子 記)」があった。
参考URL→http://www.gpwu.ac.jp/ext/gunma_studies/start/study_028.html
- 事前調査事項
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・該当日 ・・・ 大正11(1922)年 4月16日。 上毛新聞→3面、 秋田魁新報→4面。
・紙面を比較すると、家庭欄の題字部分だけが異なり、他は、文章・絵・カット・並べ方が同一。
当時、同一の紙面を数社の新聞社が受け取ることができるのかどうか知りたい。
- NDC
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- 広告.宣伝 (674 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 地方紙
- 新聞
- 通信社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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問い合わせより1ヵ月後、上毛新聞の 2005年8月22日付 26面で、
「群馬学ことはじめ」(市川祥子 :記) というコーナーに、この同一紙面の話が取り上げられた。
このレファレンス事例は、2005年に登録した内容に追記・訂正を加え、2009年に更新しています。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000023676