レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月04日
- 登録日時
- 2012/02/04 16:21
- 更新日時
- 2015/09/03 14:46
- 管理番号
- 97-B-34
- 質問
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解決
来島海峡を臨む文学碑の所在と内容、その建立の由来を知りたい。
- 回答
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【資料1】【資料2】【資料3】【資料4】【資料5】にほぼ同じ内容で記載されているので、主な碑文・俳人名・所在地・由来を次に挙げる。
春潮や 和寇の子孫 汝と我 (しゅんちょうや わこうのしそん なれとわれ) 高浜虚子
今治市波止浜3丁目 波止浜公園
この句は昭和15年の早春、虚子一行が、波止浜に遊んだ時のもので、当時の波止浜町長(虚子の姪今井つる女の夫、今井五郎)に贈り、昭和25年に建立した。その当時、戦争の思い出も深く、平和通りや平和産業など、平和という言葉が氾濫している時代で、一部に「和寇」の語に反対する向きもあった。これを知った虚子は「和寇の子孫」の代わりに「鯛と 」を書き送ってきた。しかし、和寇の文字ももう彫りかけており、世話人の今井つる女や村瀬虹雨桜は原句のほうがはるかに良いとして、建立に至った。主としてつる女の周旋に依るものである。
波止浜公園は来島を眼下に見下ろし急流の来島海峡を眺める絶好の場所にある。三度この地を訪れた虚子は、大変親しみを感じていたようである。
渡仏日記
昭和11年6月11日(木曜)
朝六時床を出て甲板に出てみると、丁度郷里の海岸を通って居るらしい島山のたゝずまひであった。(中略)そこへ同郷の瀬川君も起きて来て、互に指し示しつゝ語った。かねて、私の郷里の山川に接したいと云って居った楠窓君も呼んで、共に見た。今更ながら、瀬戸内海の景色の和らく絵のやうなのに見入った。
戻り来て 瀬戸の夏海 絵の如し
来島の瀬戸に来るまで甲板にたたずんで居て、少し朝飯が遅れた。 高浜虚子
今治市小浦町2-5 国立公園糸山 展望台へ登る道の入口右
この碑文は、「渡仏日記」の一部で、昭和11年2月16日、パリ遊学中の次男を郵船箱根丸で訪ね、ドイツ・イギリスを廻って6月15日に帰国した時のものである。
戦災で焼失した今治駅の復興に尽くした駅長の横田長八が有志を動かし、また彼自ら鎌倉に虚子を訪ね依頼もし、今治駅前に昭和26年6月建立した。駅前ロータリーの改装により、昭和47年2月今治市道路課の手により現在地に移された。
くるい汐なりや来島瀬戸の
潮もぜひなや渦もまく 野口雨情
今治市小浦 国立公園糸山
この詩は、昭和4年「今治音頭」作詞のため来遊した時のもので、第4節の1部である。作曲は中山晋平。碑は雨情の来今と詩を伝えんとしたもので、森光繁らの努力による。書は雨情自身のものである。初め山頂に建てられたが、駐車場の完成により、45年現在地に移転した。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (910 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】 『今治郷土史 第7巻 今治の文学』 今治郷土史編さん委員会/編集 今治市役所 1989年 <請求記号:K221 /14 /7>
- 【資料2】 『愛媛県の句碑・道標』 愛媛県教育委員会芸術・文化財室/編集 愛媛県教育委員会 1991年 <請求記号:H090 /エヒ /1991 >
- 【資料3】 『東予の文学碑 2』 愛媛国語国文学会/発行 1973年 <請求記号:H090 /トウ2 /1973 >
- 【資料4】 『今治の道しるべと句碑』 今治市教育委員会/編集・発行 1992年 <請求記号:K682 /8>
- 【資料5】 『愛媛の文学碑』 愛媛県高等学校教育研究会国語部会事務局/発行 1994年 <請求記号:K910 /52 >
- キーワード
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- 今治音頭 いまばりおんど
- 来島海峡 くるしまかいきょう
- 国立公園糸山 こくりつこうえんいとやま
- 高浜虚子 たかはま,きょし
- 野口雨情 のぐち,うじょう
- 波止浜公園 はしはまこうえん
- 文学碑-今治市 ぶんがくひ いまばりし
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 事例出典『郷土資料に関する調査・相談事例集』 愛媛県図書館協会・愛媛県立図書館/編集 愛媛県立図書館 1997年
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000101132