レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/02/28
- 登録日時
- 2019/03/20 00:30
- 更新日時
- 2019/04/06 00:30
- 管理番号
- 6001037170
- 質問
-
未解決
直至(じきし)流という剣術の流派について、伝系、事績などを知りたい。
- 回答
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確認した資料のうち、「直至流」についての記述があった資料は以下の4点です。
・『剣道五百年史』(富永堅吾/著 百泉書房 1972)
p.253「第八章 徳川初期に於ける重な[ママ]流儀と剣道家」内の「比留川彦九郎至盛」の項に直至流についての記載があります。
「宝暦四年のことである。直至流の師範で麹町に道場を開いていた榊原源太兵衛正次が、浅草観音堂・芝愛宕神社・市ヶ谷八幡に扁額を奉納した。その額の文句の中に、我に及び候者有之間敷覚とあるのを島野熊八が見て、高慢も甚だしいと憤慨し、かれの道場に出かけて試合を申し込んだ。そして首尾よく榊原に打勝って三カ所の掛額を引下したという話は、三額珍話とか剣術珍勝記などという表題の記録で世間に流布され人の目を惹いたものである」
なお、ここで紹介されている「剣術珍勝記」については、同書巻末掲載されている「富永氏蔵書目録」(p.469-505)に「[番号]191 [書名]剣術珍勝記 全」(p.473)とある資料が出典であるとの注が付されています。
この「剣術珍勝記」は、全国の図書館等が刊行した蔵書目録から近世武道関係の蔵書を抽出してまとめられた
・『近世武道文献目録』(入江康平/編 第一書房 1989.2)
には、「剣術珍勝記・全」として掲載されており(p.196)、この資料が掲載されている蔵書目録として上記の「富永氏蔵書目録」と、次の資料が挙げられていました。
・『北条文庫目録 金沢大学附属図書館蔵(金沢大学附属図書館目録叢刊)』(金沢大学附属図書館/[編] 金沢大学附属図書館 1976)
この『北条文庫目録』は、「金沢大学学術情報リポジトリKURA」のサイトでインターネットで全文の閲覧が可能です。
「北条文庫目録」(金沢大学学術情報リポジトリKURA)(2019年2月26日確認)
http://hdl.handle.net/2297/3153
p.12に「剣術診[ママ]勝記 3巻 写 1冊 25cm」とあり、請求記号と思われる「14-20-106」との記載がありますので、ご参考までにお知らせします。
・『日本剣道史』(山田次朗吉/著 再建社 1960)p.250
「雲弘流」の項(p.246-254)に蛭川(比留川)彦九郎についての記述があり、『剣道五百年史』で紹介されている試合について詳しい記述があります(p.250-254)。
その中では、試合に敗れた直至流の剣客榊原源太兵衛正次は「掛額引下し承諾の一通を取られて一堂二社の額は取除かれ剰へ面目を失つて所を亡命してしまつた」とあります(p.253)。
また、「剣道年表」(p.383-540)の宝暦4年の項(p.452-453)にも上記試合の記述がありますが、本文以上の情報はありません。
・『武芸流派大事典』(綿谷雪/編 新人物往来社 1969)
p.278に「直至(じきし)流(剣、心術)」の項があり、榊原源太兵衛正次が「摂州高槻藩士達山七左衛門勝信に学んで自得し、一流と唱えた」とあります。
確認した資料のうち、直至流に関して「高槻藩」の記載があるのはこの資料だけでした。
なお、p.614の「比留間流(剣)」の項にも、比留間道場の使い手であった島野熊八と榊原正次の試合についての記述があり、出典として「(三額剣術珍勝記)」とあります。
これらの資料にも上記エピソードが記載されていました。
・『日本武芸小伝』(綿谷雪/編 人物往来社 1961)p.409
比留川彦九郎の記事中に「二世比留川と直至流榊原源太兵衛正次の試合が、当時(宝暦年中)のトピックであった」とあるのみです。
〔事例作成日:2019年2月28日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 武術 (789 10版)
- 参考資料
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- 剣道五百年史 富永/堅吾∥著 百泉書房 1972
- 近世武道文献目録 入江/康平∥編 第一書房 1989.2
- 日本剣道史 山田/次朗吉∥著 再建社 1960
- 武芸流派大事典 綿谷/雪∥編 新人物往来社 1969
- 日本武芸小伝 綿谷/雪∥著 人物往来社 1961.11
- 藩史大事典 第5巻 木村/礎∥[ほか]編 雄山閣出版 1989.4
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000253295